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Airinjuku

Author:Airinjuku
岩手の世捨て人。ある時はせんべい汁屋、ある時は漆芸職人。正体不明?でがんばってます。


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大正10年頃 二戸郡福岡町仲町界隈

長年集めてきた絵葉書。
その中に大正時代の福岡町の風景がありました。。
自動車の所有者は誰なんですかね。
フォードでしょうか。
電柱の数は今とあまり変わらない?
なんとなく見たような風景ですね。
調査を続行します。
当時の絵葉書や写真などありましたら複写させて下さい。

nakamachi11

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安重根の謎

室田義文貴族院議員を調べています。

明治42年(1909)年に、日本の初代内閣総理大臣で初代韓国統監である伊藤博文が暗殺されたときに一緒に襲撃された人物です。

室田は、伊藤を撃ったのは安重根ではないと証言しています。
状況証拠は、安重根の単独犯ではないと考えることが自然ですね。
室田良文は水戸藩士。
外交官。釜山総領事やメキシコ公使、貴族院議員、百十銀行頭取、北海道炭礦汽船社長などを歴任した人物です。

いろんなことを調べていますが、ロシア黒幕、山県有朋黒幕説など面白そうです。

murota

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大日本奥州会蒲社 2

萩の小倉謙作(鯤堂)と松島剛蔵が福岡にやって来て経を講じたのが安政5年(1858)のことです。

小倉は萩の俊才で、吉田松陰や桂小五郎(木戸孝允)の親友であり、小保内定身とも知友の間柄でした。
小倉は定身の父である孫陸と計って福岡の青年士族を集めて結社をつくり、これに会輔社と命名します。
これは論語の「文ヲ以テ友ト会シ、友ヲ以テ仁ヲ輔ス」から引用したものでした。
当時の社員は14名、社長は孫陸と岩舘民弥の二人で、現存する茶室の槻蔭舎が会場でした。
小倉は異様な熱心さで経文を講じたと伝わっています。

しかし翌年10月、小倉は吉田松陰刑死の報が伝わるや、「次は余の番なり」といって、北海道に去って行方をくらまします。
まもなく帰郷した小保内定身は、彼の残した詩文を読んで感激します。
定身は時下の急務は人材の育成であると、勤王の諸士と往来しその志を深めると共に、青年の指導に専念しました。
こうしてカシオペアの地にも勤王思想の一拠点が築かれたのです。

万延元年(1860)に水戸の吉田房五郎(弗堂)が福岡にやってきます。
兵法を説き、経史を講じ、社の規則を定めて、役員を選び会輔社は名実とともに充実。
何れの士も、勤王倒幕の大義を説いて倦むことを知らなかったと伝わります。
文久2年(1862)に吉田は福岡を去ります。

小倉や吉田が去った後、小保内定身は、時代の要求する人物の養成を痛感して慶応2年(1866)に藩校を設けます。
これに対して藩主は「令斉場」と命名し、文武の道に専念したために大いに士気が上がったと伝わります。
しかし、藩内の事情により「令斉場」は慶応4年(1868)に閉校のやむなき至ったのでした。

2w3w

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土偶が2億円

遮光式土偶。

本当かどうかは分らないけど、2億円で落札されたと!

海外サイトです。

遺跡の盗掘が心配だ!

dogyy

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浮世絵かも

久しぶりに、面白そうなサイトを検索しています。
駅弁の包み紙コレクションのサイトを見つけました。

http://www.geocities.jp/obaken4649/

いろんな物を集めていらっしゃるようです。
見ているだけで楽しいですね。
駅弁の包み紙は、現代の浮世絵です。
日本独特の文化!
海外にも普及させたい物です。

eki bentoujwe

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