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世捨て人の雑感

岩手県北部のことを中心に、漆芸、郷土史、書籍のことなど綴ります。

大東京観光アルバム

昭和29年の観光パンフレットです。

戦後の発展する東京がわかります。

自宅の倉庫にあったものを、ヤフオクに出品してみました。

待つこと二週間、無事に落札されました。

発展する戦後の東京がわかります。

次の出品物を探します。

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https://youtu.be/rNZ3Hn9MbwA

確実にお金を増やせる「ヤフオク転売」入門



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串揚げ 一生

串揚げ居酒屋 一生を紹介します。

串揚げの美味しいお店です。アツアツで、揚げたての串揚げに、キンキンに冷えたビールが美味しいです。特製ソースに、さっとつけて、パクッとほおばる。そしてキンキンに冷えたビールをゴクッと一口。たまりません。

お勧めは、佐助豚のバラ肉、菜彩鶏のささみ、アスパラガスなどの、地元食材一人前の「おまかせ5本セット」です。カラッと揚げたてを、目の前に差し出して、「アツアツを食べて食べて」と薦める、店主の笑顔につられて、大急ぎで用意されたタレに漬けて、ほおばれば、ジューシーな肉の旨みや、シャキシャキした食感と、アスパラの甘みがじんわり口に広がります。

ソースは、さらっとした関西風で、二度付けはNGです。しゃぶしゃぶ用の佐助豚を、アスパラガスに、クルクル巻いた「アスパラ肉巻」も絶品です。付け合わせの、ざっくり切った生キャベツも、可能な限り地元産だそうです。何もかけずともパリパリ食べられます。

ミニトマトの串揚は、隠れたファンがたくさんいます。串揚げ専門店ですが、宴会も2時間、3500円から対応してくれます。10名以上なら貸し切りもOKです。

お店からのメッセージです。地産地消の食材を、アツアツで味わってください。 ビールが本当においしいですよ。

おすすめメニュー
・串揚げおまかせ5本セット 600円(税別)
・菜彩鶏の唐揚げ 550円(税別)

岩手県二戸市福岡下川又4-3
営業時間 17:00~23:00
定休日 不定休
TEL 0195-23-0229
駐車場 あり /5台
座席数 テーブル(6人)×2席、カウンター4人
最大人数 16人
飲み放題



駅弁 東海軒の鯛飯

趣味で駅弁の掛け紙を集めています。40年ぐらい前の、掛け紙を観ています。静岡、東海軒謹製の鯛飯です。当時は500円だったようです。なので、40年ぐらい前だと思います。

インターネットで調べたら、詳しい説明がありました。

ときは明治25年。静岡の街を襲った、大火の後片付けに追われる日々の中。これは東海軒の前身、加藤弁当店に起きた出来事です。ある日、馴染みの魚屋が主の見舞いにと、甘鯛を置いていってくれました。ちょうど甘鯛の漁期であったことから、それは毎日のように、続いたのですが、この魚は煮ると、身がボロっとくずれてしまい、折り詰めや商売には使えないため、もっぱら家族の食事に。ご飯の上に、このボロボロをかけると、その甘い味付けと、軽い舌触りが子どもたちに大好評で、喜んで食べてくれました。

ある時、鉄道の高官が子ども連れで、主の見舞いに来てくれました。そこで、ご馳走を用意したのですが、子どもは嫌がって食べないのです。そこで、甘鯛の煮くずれをふりかけたごはんを「鯛のご飯」と言って出したところ、とても喜んで食べ始めたのです。かねがね、子ども向きの汽車弁をと考えていた主は、この話を聞いて、これだと思いついたのです。

こんな由来を聞くと、現地に旅行して、できたての駅弁を食べたくなりますね。


元祖鯛めし/特製鯛めし
1897年発売のロングセラー商品。醤油味の炊き込みご飯に白身魚のオボロを載せたタイプの鯛めし。後者は、鯛めしにおかずを追加したもの。



ニッポン駅弁大全

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支那そば 幸道

レモンの酸味が絶妙のアクセント

支那そば 幸道を紹介します。

開店から23年、昔懐かしい支那そばはいかがでしょうか。昔懐かしい味・支那そばの復活を合い言葉に開店しました。

鶏ガラと煮干し、香味野菜で仕上げたスープに、細ちぢれ麺と鶏チャーシューを合わせています。自慢のスープを堪能するなら、醤油味の「支那そば」がおすすめです。

もうひとつの看板ラーメンは、「幸道の塩味」です。レモンの輪切りが印象的で、甘みのあるスープに、レモンの酸味が相性抜群です。醤油、塩、味噌の3種以外にも、魚介ダシが効いた「チャンポン」や、とろみと辛味がクセになる「ダールメン」も人気があります。

お店からのメッセージです。

醤油、塩、味噌のラーメンがありますので、まずは3種味わっていただき、お好きなラーメンをみつけてもらえたら、嬉しいです。

岩手県二戸市金田一字上田面220-2
営業時間 11:00~15:30(L.O.15:00)、17:00~20:30(L.O.20:00)
定休日 水曜夜の部、木曜
TEL 0195-27-2161
駐車場 あり /10台
最大人数 15人

おすすめメニュー
・幸道の塩 600円(税込)
・支那そば 600円(税込)






遣日使

日本には隋や唐からも、インド、ベトナム、新羅、渤海などからも遣日使が押し寄せて来ていました。

あの有名な小野妹子が日本に帰国する際には、32隻もの大船団がついてきたそうです。

9~19世紀の日本では、遣唐使などよりも遣日使のほうが多かったのです。

なぜこのことを教えないのでしょう。

「飛鳥時代から平安時代にかけ遣隋使、遣唐使の派遣目的は隋や唐から先進文化を取り入れるためである。」

日本の教科書は、基本的にこのように記述しています。

しかし、歴史学者と言われる人々は、遣唐使の何倍もの遣日使が来ている事実を見逃しています。(故意に見逃した?)

特に、最初の遣隋使を派遣するに当たり、聖徳太子が小野妹子に持たせた国書のあの有名な文言は象徴的です。

「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつ)が無きや」を見れば、当時の力関係は台頭だったのです。

太子の書を不快に思った煬帝は、この遣隋使への返礼として大使裴世高を小野妹子に同行させ、隋の冊封体制に組み入れようと試みたのですが失敗に終わります。

小野妹子は、隋の皇帝の返書を求められた際には「無くしました」と聖徳太子に応えています。

素晴らしい外交術です。

これ以降、日本は常にチャイナとは対等な関係です。

忘れてはならないことですが日本と唐は対等でしたが、百済は兄弟国であり、新羅に対しては宗主国でした。

高句麗はチャイナの地方政権のようなものです。

朝鮮は、チャイナを宗主国として仰ぎ、自らは日本の兄と称して格付けに躍起ですが、歴史的証拠も無くて、滑稽というしかありませんね。

ちなみに、日本からあちらに行った人たちは、帰れなくなった人を除いて、みんなこちらに帰ってきたそうです。

現在でも、チャイナから多くの人が日本にやって来て住むのに、その反対は?



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