秀衡?

ヤフオクに古いお椀が出品されていました。
価格は5万円からです。
バブル期であれば10万円越え出したね。
できれば浄法寺地方に残したいですね。

hidehira709

カシオペア歴史研究所



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版画

久しぶりの外食。
カレーがおいしきかんじられました。。
今まで気づかなかったけど、絵が飾ってありました。
何となく見入ってしましました。

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カシオペア歴史研究所

片口の産地は

片口の産地を鑑定依頼がありました、。
画像だけなので、何ともいえませんが、形は浄法寺にも残る形です。
川連や仙台周辺にも残る形のように思います。
塗り方は、何となく仙台方面かなと思います。
体系立てて調査してみると面白そうです。
皆さんのご意見を教えてください。
コレクションにも同じようなものはあります。

katakuchi11

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謎は深まる

明治38年渡仏、生涯を異国の地で漆工芸の発展に尽くした「幻の巨匠」。
その謎の生涯と業績を元フジTVパリ支局長が執念の調査で再現。

フランスの漆工芸に多大な影響を与え、今なおその業績が語り継がれていながら、日本ではほとんど忘れ去られた「幻の巨匠」がいる。
菅原精造――。本書は元フジテレビのパリ支局長だった著者が、ふとしたきっかけでその名を知り、二十年の歳月をかけて生涯をたどった異色の評伝である。
一八八四(明治十七)年山形県の酒田に生まれ、十七歳のときに上京し、東京美術学校の漆工科撰科に入学。日露戦争が終結した一九〇五年晩秋、二十一歳で横浜からフランスへ出航、その後一度も帰国せず、生涯をパリ中心に過ごした。
菅原は渡仏後すぐ、工芸の道を志し、ロンドンからパリに戻ったアイリーン・グレイとの知遇を得、彼女と共同制作した「夜の魔術師」をサロンに初出品、評判を呼ぶなど、次第に漆芸家としての地歩を固めていく。
著者は数少ない手がかりをもとに、ついに遺族の存在を突きとめ対面、遺された作品はないとの定説を覆して数点の遺品と対面する。菅原はパリで何を目ざしたのか。藤田嗣治をはじめ、数多くのパリ在住の日本人との交流を中心に、著者は執念の調査で描き出していく。

この菅原精造、フランスではなぜか浄法寺からやって来た漆職人と言うことになっている。
火のないところに煙は立たない。
浄法寺出身と言われた何かの理由があるはず。
もう一度、読みなおしてみます。

176901

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秀衡と浄法寺の迷宮

岩手県の南北に漆器の文化が伝わっています。浄法寺塗と秀衡塗です。

秀衡塗というと菱形の金箔と模様が特徴的ですよね。平泉文化を花開かせた藤原秀衡の名が付いているので、古くから秀衡塗りがあったように誤解されますが、秀衡塗りという呼び方が一般的になるのは大正時代からのようです。

古くから「秀衡椀」と呼ばれている物は、なぜ「秀衡椀」の名がつけられたのかは分かっていません。産地も特定されていないと思います。 浄法寺椀は瀬戸内寂聴尼で知られる天台寺がルーツであることが分かっています。藩政時代には各地へ漆器を送り出した記録も残ります。中尊寺と天台寺の宗教的関係を考えれば、同じような文様の古い漆器が存在していたことは歴史的にも何らかの繋がりがあることを暗示していると思います。

よく間違われるのが秀衡塗と秀衡椀です。秀衡塗という名前は大正時代に当時の盛岡市長によって付けられた名前で、もともと盛岡の名産品として始まりました。秀衡椀は古くから存在していますが、秀衡椀の歴史=秀衡塗ではないのです。

まるで迷宮に迷い込んだようです。

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