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Airinjuku

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岩手の世捨て人です。ある時はせんべい汁屋、ある時は漆芸職人。正体不明でがお付き合い下さい。


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九戸戦史

長野の知り合いが、郷土史関係の本を復刻出版しています。

150冊ほど復刻したようです。

もっとも、復刻と言っても電子書籍です。

良いところに目をつけたものです。

商業ベースは難しいかもしれませんが、書き残したいことを後世に伝えるには良い方法です。

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秀吉は偉い!

現在の日本人は、秀吉に感謝です。



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光格天皇

女性天皇の是非が一部で話題になっています。
結局は、日本の歴史と天皇家の歴史的意義を理解でできないコミンテル史観が原因です。
宮家の復活を考えなければなりませんね。
そんなことを考えながら、youtubeを観ています。



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文部省唱歌「われは海の子」 その1

皆さんは「われは海の子」という歌をご存知でしょうか。この歌は、文部省(もんぶしょう、現在の文部科学省=もんぶかがくしょう)が明治43(1910)年に初めて編集した尋常小学校(じんじょうしょうがっこう)用の唱歌集(しょうかしゅう)である、尋常小学読本唱歌(じんじょうしょうがくとくほんしょうか)に記載(きさい)されている歌です。ちなみに尋常小学読本唱歌は、すべての曲を日本人が作曲したという点で画期的(かっき...
文部省唱歌「われは海の子」 その1



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なんとなく7番が歌われなくなった理由が分りました。
歌われたくなったのではなく、歌わせなくなったのですね。
良い歌詞だと思いますけどね。

http://airinjuku.cocolog-nifty.com/blog/




石田三成

関ヶ原の実質的な西軍リーダーは、佐和山城主の石田三成。

敗れたあとに三成は捕縛され、京都の六条河原で首を刎ねられた。
意外なことに三成の嫡男・重家は、仏門に入ることで助命され、名を宗享と改め京都妙心寺・寿聖院の住持となっている。
ただ、僧侶の身なので妻帯は許されず、子孫を残せぬまま貞享3(1686)年に没した。
しかし、それで三成の血脈が途絶えたわけではなかった。
意外にも都から遠く離れた東北は津軽の地に、その血筋が続いているのである。

しかもなんと、藩主津軽氏の嫡流になっているのだ。
津軽藩は関ヶ原合戦後、三成の遺児を密かに領内にかくまっている。
藩祖津軽為信が、三成に多大な恩義があったからだ。

為信は、関ヶ原合戦で西軍が敗北すると、三成の次男重成とその妹(姉とする説もあり)辰姫(曽野とも)を大坂城から密かに連れ出した。辰姫については、合戦の褒美として徳川家から賜った上野国勢多郡大館(現群馬県太田市)で内々に養育した。やがて彼女が成人すると、為信は次男の側室とした。

この次男こそ、二代藩主となる信枚であった。
元和5(1619)年、辰姫は信枚の子・信義を産むが、信枚の正室・満天姫(家康の養女)に男児がなかったことから、信枚の歿した寛永8(1631)年、信義が三代藩主に就任する。すなわち、三成の孫が津軽藩主になったわけだ。

歴史は謎だらけですね。

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カシオペア歴史研究所



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