プロフィール

Airinjuku

Author:Airinjuku
岩手の世捨て人。ある時はせんべい汁屋、ある時は漆芸職人。正体不明?でがんばってます。


カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

最新記事


最新コメント


月別アーカイブ


カテゴリ


訪問者の足跡


メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:



安重根の謎

室田義文貴族院議員を調べています。

明治42年(1909)年に、日本の初代内閣総理大臣で初代韓国統監である伊藤博文が暗殺されたときに一緒に襲撃された人物です。

室田は、伊藤を撃ったのは安重根ではないと証言しています。
状況証拠は、安重根の単独犯ではないと考えることが自然ですね。
室田良文は水戸藩士。
外交官。釜山総領事やメキシコ公使、貴族院議員、百十銀行頭取、北海道炭礦汽船社長などを歴任した人物です。

いろんなことを調べていますが、ロシア黒幕、山県有朋黒幕説など面白そうです。

murota

カシオペア歴史研究所












スポンサーサイト

日清戦争

明治15年(1882 )の壬午軍乱鎮圧以来、清は朝鮮を属国のように扱っていた。一方、日本はロシアへの警戒から大陸進出のための基地として、朝鮮を支配下に置こうともくろんでいた。

明治27年(1894)3月に起こった東学党の乱をきっかけに日清戦争が始まる。甲午農民戦争とも呼ばれるこの反乱は、朝鮮固有の民間信仰に儒教、仏教、道教が結びついた新興宗教で、弾圧されながら広まっていた東学党が起こした。

不正官僚の糾弾に端を発する反政府運動として始まり、5月には官軍を敗北させる。これに対し、朝鮮政府は独立党を率いて甲申事変を起こし、当時日本に亡命していた金玉均を上海で暗殺。これが日本の世論を激昂させ、清が反乱鎮圧に出兵すると聞くと、日清両国の勢力を均衡するための出兵が決まった。7月25日、両国は豊島沖海域で開戦する。日本軍に優勢な戦況が続き、翌年2月、威海衛での清国北洋艦隊の降伏により決着がついた。
 
続く

sinntoku

ノモンハン

昭和14年(1939年)5月、満州と外蒙古(モンゴル)の国境で日本・満州軍とソ連・外蒙古軍が激突します。ノモンハン事件が勃発しました。以前は、この戦闘はソ連の機械化部隊に対して日本軍はまったく歯がたたなかったと言われてきました。

ところが、ソ連崩壊後にソ連側から新しい資料が出てきて評価が変わってきています。 
教科書などには、損耗率7割としているものもあり、この数字が一人歩きし、「惨敗」となり、ソ連が大量の戦車を投入していることから、機械化部隊に歯が立たなかったとされています。

実は、なんとソ連軍は参戦77,000名で戦死者26,000人だそうです。
一方、日本側の参戦者は30,000名で戦死者17,000名です。この数字を知れば、ノモンハンの評価も変わります。

これまではソ連側の発表の数字が一人歩きしていたのです。
ソ連に近代的機械化部隊があっ たというどうも怪しいですね。
戦車戦ではソ連軍の被害約800台にたいして、日本側の損害は29台です。航空戦でも圧倒します。ソ連側の損害が1,673機なのに、日本側は179機です。

決して負けてないよね。

nomonhan

http://www.airinjuku.com/index.html





 | ホーム |