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Airinjuku

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岩手の世捨て人です。ある時はせんべい汁屋、ある時は漆芸職人。正体不明でがお付き合い下さい。


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敬遠満塁策

その時スタンドはざわめいた。

9回裏高松商業の攻撃、一死二塁のピンチを招くと福岡中学の村田栄三捕手は「戸来、あれやるべ!。天知さんから聞いたのよ」と戸来投手に伝えると、「わがった~~」とうなずく戸来投手と内野手。

初球を外角低めにストライク。続く2球目を高めにはずす。
運命の3球目。スクイズを見破り高めにはずし、三塁走者水原茂を挟殺。
次打者を三振に仕留め、日本野球公式戦で初めての敬遠満塁策が成功します。

ところでこの試合、延長10回福中の攻撃。戸来投手がこの試合福中の初ヒットを放ちます。
絶妙の送りバントで二塁進塁。
ここでベンチコーチとして福中の指揮を執っていた天知俊一は戸来に盗塁のサイン。
非凡な野球センスをもった戸来は絶妙のスタートも切り、タイミングは完全にセーフ。
その瞬間に天知は「勝った!!」と叫んだそうです。

天知にすれば次打者のスクイズで1点を奪い、その裏を抑えれきれるという自信があったのでしょう。
ところが打者の鈴木銀之助は三塁へのフライを打ち上げてしまいます。
結果はダブルプレイ。このことで鈴木選手はかなりの非難を浴びたようです。
 
「結果を責めても何も変わらない」という教訓を得た鈴木は指導者として開花します。
昭和6年、昭和15年、昭和22年の福中甲子園出場は鈴木の指導に負うところが大きいと伝わります。

「練習は厳しく、試合は気楽に」のポリシーを貫きます。
練習で手を抜くと烈火のごとく怒ったそうですが、試合では神様のごとく選手をリラックスさせることに徹し、決して選手の失敗を責めなかったそうです。

鈴木は福中卒業後に明治大学に進み主将を務めます。
明治大学卒業後も満州鉄道などプロ野球発足前の第一線で活躍します。
特筆すべきは、昭和25年の広島球団発足時に40歳でプロ契約したことです。
選手としての実績は残していませんが、明治大学との太いパイプに期待したオーナーの判断での契約でした。

画像は敬遠満塁策が成功した瞬間の観客です。


keienn






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