世捨て人の雑感

岩手県北部のことを中心に、漆芸、郷土史、書籍のことなど綴ります。

南部椀考 1

本県は古来生漆の生産地として知られているが、漆器の産もかなり昔からのように伝えられている。

現今県内の漆器産地の集団地をみると、県南はまず胆沢郡衣川増沢と、旧南部領内では盛岡市並びに二戸郡荒屋新町を中心とする一帯の地だけである。
 
古くから浄法寺椀と呼ばれる郷土的な椀は此の二戸の荒沢地方を中心とする安比川流域に沿って産競られるモノである。
此の浄法寺椀の創めは秀衡時代にあるように謂われているが、今の浄法寺椀は所謂南部椀の係累であるから南部椀の祖とその源を一元にしてうるわけである。

南部椀の嚆矢には諸説あって、地元の伝承としてより、むしろ中央識者の間に著述されたものに見える処の説である。
一は高倉天皇の御宇陸奥の南部の工人漆器を製す、是を南部椀といふとか、浄法寺御山天台寺にて自家用漆器を作りしに創る、或いは正平年間正法寺にて自家用什器の椀を製したそれより南部椀は出でしと称される如く平安時代、天台寺、正法寺の什器製作にその源を凝定しているので伝説以上の進展を見ていない有様である。

日本漆器工業論(昭和21年刊)の著者磯部喜一氏も前二者の説を掻き混ぜて藤原秀衡が農民に命じて押領使御用の秀衡椀を作らせた秀衡は故に此の面に於いて貴族工芸品と目されるし、また一般庶民の需要のものを製らした、是が後世の南部椀であると解されるように書いている。 然し一方、秀衡椀は南部椀で、江刺正法寺の寺什や浄法寺の御山天台寺の寺什製作に伝わる正平年間から浄法寺付近の農民の手で浄法寺椀が作られるようになったと述べているが、変遷推移の時代漠然としたものがあって単に伝説の交識に過ぎないもので終始している。

現在本県内でられる古椀によると、秀衡椀と世に云われる椀を厳然とした一形式を備えた三ツ椀様式のものを見ることが出来る。此の椀に就いては既に岩手県史学研究(第八号28ページ)に於いて自説を掲げたので、私は茲では南部椀の圏外に一応おいてしばらく秀衡椀には触れないじちにしたい。尚ほまた江刺郡黒石村正法寺什器の正法寺椀についても同様取り扱って、南部椀は南部氏時代南部領内に於いて製作された椀のみについて検討を加え研究をしたいと思う。

思うに南部椀の呼称は南部領内者よりは領外の者の呼称として考へらるべきで、地元には恐らく此の呼称が用いられてなかったと見られるし、南部椀と云うのは南部領内産の椀類一般に対するものであるかもしれない。

今は概念的であるが浄法寺椀と云われている椀は内外共空き赤か黒の三ツ椀、四ツ椀をさして呼び、北海道漁場などに近年移出された単独椀も左様に呼ばれて地方使用の雑器的のものである。

現在製出のものには南部椀として地元呼称のものはないが、此の名称につながるものとして即ち南部椀と称するものは内は朱色にして外は黒色なり、又は黒漆の上に朱色又は青漆黄漆を用いたるを以て或いは鶴或いは花卉を描き所々方切りしたる金箔を附着し其の朱色絢爛なる此の模様を南部模様と云う云々の説明に従って見ると、現在においてはその様な椀は造られていないが、南部領内に於いてのみ見られるこの説に符号する古椀を見ることが出来る。

然しこうした椀がはたして南部領の何処で造られたかということは問題であったが事実生産されたことが実証出来る文献、最近、淵澤定行氏によって南部家古文書の中に見出された。

http://www.airinjuku.com/index.html

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