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Airinjuku

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岩手の世捨て人です。ある時はせんべい汁屋、ある時は漆芸職人。正体不明でがお付き合い下さい。


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世界虐殺者 第5位 レオポルト2世(ベルギー)200万人

第5位 レオポルト2世(ベルギー)200万人・

レオポルト2世は第2代目のベルギー国王です。

レオポルト2世が即位した当時、独立が遅れたベルギーは植民地獲得に躍起になっていました。

植民地獲得はことごとく失敗するのですが、コンゴは、天然ゴム、象牙、ダイヤモンド、金、銀など魅力的な資源が数多くあるにもかかわらず、未開拓の地であったため、レオポルト2世はここに目をつけます。

ベルギーが国としてコンゴに進出することは、列強の緊張関係の中で認められず、あくまで「レオポルト2世の私領」として、進出することになります。

これがコンゴ自由国の成立です。

莫大な私財を投入していたレオポルト2世は、その回収を急ぎ、1893年まで250トン足らずだった天然ゴムの生産量を1901年までに6000トンにまで高めさせました。

もっともそれは先住民を過酷な環境で無理やり働かせた結果でした。天然ゴムの生産量にはノルマが課せられ、生産量が足りない場合には手足切断などの罰が加えられました。

過酷な圧政によってコンゴの人口は1885年にコンゴ自由国が建設された時点(3000万人)と比べて70%減少し、900万人にまで減少したそうです。

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世界史虐殺者ランキング 5位

第5位 エンヴェル・パシャ(トルコ) 200万人

オスマン帝国末期の軍人で、青年トルコ革命の指導者です。

目元も涼やかだし、ひげがとても素敵なおっさんです。

エンヴェル・パシャは、第一次世界大戦の中でオスマン帝国の軍人としてロシアと戦闘に入ります。

そしてロシアによって大打撃を被ったため、ロシア軍に協力したという理由でアルメニア人をシリアに強制移住させ、その過程で200万人にのぼるとされるアルメニア人がトルコ軍によって虐殺されたといわれています。

これがアルメニア人大虐殺です。

トルコは、アルメニア人大虐殺によって国際的な非難を受けていますが、現在でもこれを認めていません。

第一次大戦では、親ドイツ派として参戦する立場をとる。

1914年12月のサリカミシュの戦いでは、ドイツ人のグーゼ中佐に作戦立案させ、 この計画は雄大すぎると疑問を漏らした第9軍団長スタファ・フェヴジと第11軍団長アブドゥルケリムを更迭し、作戦を開始した。

攻勢は当初順調であったが、1.5mも積もった雪とマイナス26度という悪天候に、ロシア軍の反撃を受けて衰えていった。

エンヴェルが督戦するもオスマン軍は後退し、第10軍司令部が捕虜となるなど惨敗を喫した。

かしエンヴェルは作戦失敗の責任も取らず、報道規制を敷いて前線での発疹チフス流行を隠した。

エンヴェルは「常に冷静沈着を失わない豪胆さを持ち、いかなる危機にも動揺しない人物」として知られた。

敗戦後はドイツへ亡命し、帝国が崩壊すると赤軍の要請でロシアへ渡るが、これを裏切ってバスマチ運動(中央アジアの反ソ運動)に参加する。赤軍の掃討を受けて壮絶な最後を遂げた。

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1917年のロシア

ロシア革命100年。

1917年にロシアで共産主義革命が起き、世界革命を目指すロシア共産党(ボリシェヴィキ)は1919年にコミンテルン(共産主義インターナショナル、第3インター)を成立させ、ロシア革命に狂喜する各国の運動家や運動団体にはたらきかけ、各国に支部を作っていった。当時の日本には、大逆事件など明治期の弾圧の結果、一握りの社会主義者しか残っておらず、それも厳格な監視のもとにあった。ロシア革命の影響を受け、日本においても社会主義革命をめざす党を結成しようとする動きが起こり、共産党を結成しようとする運動が活発化する。

続 き

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感想(5件)




柴五郎

1900年初頭、発言力が弱く差別の対象でもあったアジアの国。

その時代に、なぜ世界的大国であったイギリスは日本と同盟(日英同盟)を結んだのか?

その裏には、多くの日本人が知らないとある日本軍人の知られざる功績があったと言われている。

会津藩主松平容保は勤王でありながら徳川の親藩として薩長と戦った。

柴五郎はその藩士、会津落城のとき母、姉妹は自刃している。

兄弟そろって秀才だが、維新後の薩長の世の中で会津藩士が生きる事は大変な苦労があった。

自伝を読むと涙が出てきます。



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フーバー元大統領が痛烈批判

ルーズベルトは日本を対米戦争に追い込んだ『狂気の男』

「ルーズベルトは狂気の男」 フーバー元大統領が批判.

最大の問題は、こう言うアメリカ側のルーズベルト否定派を、肝心の日本人が知らない。

まあ、日本のマスゴミと教育機関が、この内容を紹介していないというのも大問題ですが。

一応、アメリカ側にもルーズベルト批判派はいるようです。

せっかく日本が共産主義勢力と戦っているのに、なぜ米国が日本をたたかなければならないのか。

かの有名なリンドバーグ大佐もそのように言っております。

http://www.airinjuku.com/index.html




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