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知り合いから漆が欲しいと言うことで手配しました。

金継で使いたいとのことですが、趣味の世界であれば生涯で使い切れないと思います。

まずは、被れなければ良いですが、そればっかりは体質です。

国内最大の接着剤メーカーで、同社の製品を食器には使わないように宣伝し始めました。

漆の需要が増えれば嬉しいです。

しかし、そうなったら益々漆不足になりそうですね。

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丸石ランドナー

丸石のランドナー、何とか修理し試乗にでてみました。

近場を10kmぐらいでしたが、特に問題もなく走りました。

ホイールのバランスが悪いようですが、スポークの張り替えはパスします。

小遣いが貯まったら外注します。

蛍光灯の下ではそれなりにきれいでしたが、日光の下では錆汚れ場目立ちます。

錆落としに頑張ります。

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桜の捏ね鉢2

前回に引き続き、捏ね鉢コレクションを放出します。

少し変わった捏ね鉢です。

30年ぐらい前に切った木材を、20年ぐらい寝かせました。

10年ぐらい前に漆を塗っていたもので、貫禄が出てきました。

数人分の蕎麦を打つのに、ちょうど良い大きさです。

お気軽にお問い合わせください。

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七夕

陸奥浄法寺でささやかな七夕祭りです。

景色のアクセントになっています。

来年はみんなで集まって、団子でも食べながらhttps://admin.blog.fc2.com/control.php#語りたいです。

それまでに、なんとか秘密基地を完成させたいです。

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ブルーベリー

地元産のブルーベリーが出回りました。

粒も大きく食べ応えがあります。

浄法寺地方で「こぶくら」と言われる器に盛りつけてみました。

「こぶくら」、どぶろくを飲む器です。

漆器の赤にブルーベリーが映えます。

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長慶天皇の伝説が残る南部せんべい

今日の昼のおやつは南部せんべい。

子供のころは、関東方面の醤油せんべいが好きでしたが、還暦が近くなって南部せんべいが好きになっています。

馬淵川流域には、村ごとに名物の南部せんべいがあります。

かつては手抜き料理といわれた「せんべい汁」

いまや全国的に知られる名物料理です。

この南部せんべいに起源には、長慶天皇が関わっているとの言い伝えもあります。

せんべい汁を食べながら、そのあたりのことを語りましょう。

遊びに来てください。

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長慶天皇の伝説が残る馬淵川流域

 長慶天皇が亡くなったのは45歳だったといわれます。その御陵は長谷寺の「有末光塚」に作られます。位牌は火災により焼失し、延亨2年(1745)に再建されました。
長慶天皇に遺品は応永年間(1394年から1428年)に、どうした理由か不明ですが櫛引八幡宮に移されます。八戸南部家の家臣立花四郎が長慶天皇より拝領し、その子孫の時代に長谷寺恵光院の関係者が櫛引八幡宮に奉納したとも伝わります。

八戸南部家の勢力圏に「ナニャドヤラという不思議」な歌が伝わります。別名を「南部の猫歌」とも呼ばれます。一戸町出身の神学博士・川守田英二はヘブライ語説、言語学者の金田一京助は方言説、柳田国男は恋歌説が唱えます。

新郷村史では弔いの歌であるとしています。長慶天皇が長谷寺に潜幸した際、梵語で「ここしか住むところがない」という気持ちを詠んだものともいわれます。この弔いの歌が、「ニャンニャン」と聞こえたため南部の猫歌と呼ばれました。この猫歌が盆に謳われるようになり、馬淵川流域を代表する盆踊りの歌となったと言います。

長慶天皇の病状が悪化し、側近の6名が月山大権現の断食祈願を行いますが、天皇は崩御してしまいました。6名は天皇の崩御に殉じます。地元の人々は、長慶天皇と殉職した側近の霊を慰めるために「ナニャドヤラ」を歌うようになったということです。

https://airinjuku.jp/kikou/kikou.html

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行軍が年中行事に

 昭和36年の夏以来、なかなか出場できない野球部を奮い立たせようと応援団幹事が音頭を取り、盛岡まで歩いて応援に行く事となった。野球部と苦しさを分かち合うために始める。 昭和49年の事である。

 以来、有志に受け継がれている。しかし、この時に新しく始めたわけではなく、かつての応援団有志が「福中の優勝間違いなし」と言われた昭和14年に、地元開催(岩手県盛岡市)の会場まで、電車や自転車、徒歩などで球場入りしたとの伝説を復活したものである。

 戦後も、思い出したように歩いて球場入りをしたようだ。盛岡まで距離にして約80キロぐらい。初戦が紫波とか花巻の球場だったなら100km以上の行軍になる。

 昭和の時代は、初戦の二日前に出発するのが慣例であった。正門前で「遠征歌」を歌い、生徒有志からの見送りを受ける。建前上は学校非公認の行動であるので、教職員からは歓迎されない。(現在はどうか分からない) 

 しかし、がんばれと言って差し入れをしてくれる先生もいる。到着は約24時間後。数時間の仮眠をとっただけで15時間以上歩くことになる。到着と同時に「凱歌」を歌うl旧制中学時代の大先輩がいたことを覚えている。先輩方も待っていてくれて一緒に歌うことが多い。

 かつては、学校非公認の行事であり、参加した者は停学処分になったが、これまで学校側が阻止に出たことは一度もない。近年は学校公認の行事となり、校長以下の教職員、生徒の見送りを受けて出発する。(羨ましい)

 昭和55年当時、本校卒業生の漫画家(漫画協会会長、絵本作家などでも有名)馬場のぼる先輩が「暑中行軍」と名付けた。当時の人気漫画「ドカベン」に出てくる、岩手代表の弁慶高校は、盛岡一高がモデルであるが、一部本校の行軍にヒントを得て書かれたと言われている。


 当人たちは、さして深く考えず、野球部にもがんばらせるかぐらいの気持ちで始め、現在みたいに計画的に歩くのではなく、無計画、行き当たりばったりの行動だった。球場について試合直前に生徒会担当の西堀先生にえらく大目玉をくった。しかし怒りかたにいつもの迫力がなく、先生も内心はよろこんで応援してたらしい。
 その後、横山校長に謝りに行ったら、「なに、怪我がなければよろしい」ということで、「今の若者の中でこのくらいのことができるのは、福高の応援団ぐらいだ」とお褒めの言葉をいただいた。(昭和50年ごろの参加者) 

https://airinjuku.jp/nekkyo/nekkyo-top.html

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片口はどんどん漆を吸う

片口の補修中です。

欠損部分に漆のパテ(麦漆)を補填していますが、まだまだ木地に浸透していきます。

別の片口は、注ぎ口が欠損ですので、ガムテープを使って形成に挑戦です。

固まるまで10日ぐらいを見込んでいます。

欠損部分がすべて完成するのは9月?

気長に固まるのを待ちます。

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トナーこぼす

秘密基地の掃除中に、コピー機のトナーをこぼしました。

拭いたのですが、汚れが取れません。

オブジェとして諦めます。

密かに凹んでいます。

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カシオペア歴史研究所

Author:カシオペア歴史研究所
世捨て人です。人生も半分以上が経過しました。これまでの書き留めたこと、地域のこと、日本のことなどを、勝手に思いつくまま書いています。コメント歓迎。批判も大歓迎です。

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