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バイク 友達 草千里

高校2年、多感な年頃である。
何に対しても反感をし、疑問を抱き、悩み、そしてわけもなく楽しい時代だった。

当時、隣町の高校に在学していた私は下宿生活を送っていた。
当然のごとく仲間の溜まり場となる。夏休みも終わりに近づいたある日に悪友共が集まった。
美味くもないタバコ(たしかハイライトだったと思うが)を吸いながら、
BGMにレッドツエッペリンの「ロックンロール」が流れていた日曜日のことだった。

友達の一人がバイク雑誌を持ってきていた。
それを何気なく見ていると、九州の草千里でオートバイとライダーを写す企画が目に入った。
やってきたライダー全員を写した写真集を出すらしい。
頭の中に閃光が走った。次の瞬間「これに行って来る」と叫んでいた。

出発は次の日の朝。所持金は2万円+悪友がカンパしてくれた8000円。
誰から聞いたのか同級生の女の子も激励に駆けつけた。
「阿蘇のお土産待ってるね」
男とは馬鹿なもので、女の子からのそんな言葉で勇気づけられるものだ。

どう考えても無謀なのである。所持金はガソリン代だけで消えそうだ。
しかも、夏休みはあと3日で終わる。
それでも出発した。同行のパートナーはスズキGT380。

国道4号をひたすら南下する。その日の夜には福島県の郡山付近まで走った。
今と違ってコンビニなど無い時代である。ドライブインに入り「ライス」だけを注文した。
それを持ってきていたタッパーに入れ、ボンカレーをエンジンに張りつけて何キロか走る。
まるで片岡義男の世界を気取っている。
宿は当時の常識でバス停の待合小屋。そこで暖まったボンカレーで夕食。

事件は次の日の朝に起こった。GT380の鍵を無くしたのである。
何とか配線に細工をし、俗に言う直結で出発した。この事件でかなり気が滅入っていた。
昼頃に宇都宮付近で休息を取った。直結した配線を切っておくのを忘れていた。
バッテリーが上がった。愛車は動かなくなった。
どれぐらいその場で休んだのだろう。通りがかりのライダーが声をかけてくれた。
そして近くの、近くといっても20kmぐらい離れたバイク店まで乗せてくれた。
バッテリーを購入して戻った。バッテリーをつなぐとGT380のエンジンは復活した。
日が暮れ始めていた。この時に「草千里」へ行くことを完全に諦めた。
それからはひたすら北へ向かって走った。夏休み最後の日の深夜に下宿に戻った。

「進む事も大切だけど、戻る勇気も必要だ」と友達の誰かが言った。
「無事に帰らなければ全てが終わりだ」ともいってくれた。
その言葉で気が晴れた。

何ヶ月か後に写真集が発売された。
予想どおり、「風の匂い、雨のメロディー、風景の躍動感、ライダーの憂鬱、時代の共感」を感じる写真集だった。
その写真集は今でも僕の宝物だ。

https://airinjuku.jp/

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テーマ : バイクのある風景
ジャンル : 車・バイク

第8回ライブ

第8回ライブ。

平成20年9月27日(土) 16時30分からおこなわれました。

メインゲストは茶木みやこさん。

「泪橋」「まぼろしの人」などのヒット曲、現在の心境を歌ったしんみりした曲、アップテンポな曲を交えて、外気温6度の寒さを吹き飛ばす熱唱でした。

10年以上前の思い出です。

https://airinjuku.jp/ 

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宇宙自衛隊

日本政府が、航空自衛隊を「航空宇宙自衛隊」に改称する方向で調整に入ったことを、令和2年1月5日(日)、国内複数のメディアが報じました。

 各国の軍事関係者は宇宙空間が作戦エリアになることは認識されており、航空自衛隊も宇宙を担当する専門部隊として「宇宙作戦隊」の新設を令和2年度に計画しているようです。

航空自衛隊の管轄分野が宇宙に広がり、人工衛星の監視などが任務に加わるため、今回の「航空宇宙自衛隊」への改称は、それを踏まえたものと見られます。

 ぜひ将来の宇宙区間をめぐる利権争いに勝利できるよう、官民挙げて取り組んでほしいものです。新技術開発で、雇用と利益を生み出すことができるでしょう。

 当然ですが、産業スパイの対策もしっかり作る必要があります。日本はこの分野で世界をリードする力のある国です。

https://airinjuku.jp/


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戦艦金剛

  昭和40年代後半、田舎の小学校では普通に帝国海軍の戦艦が話題に上っていました。先生も戦時中は小学生で、地図で戦況をシミュレーションし、昭和18年ごろから日本軍の劣勢を感じたそうです。

  その先生から金剛という戦艦を教えられます。金剛の艦名は奈良県と大阪府の境にある金剛山にちなんだもので、計画時の名称では「伊号装甲巡洋艦」と呼ばれ、装甲巡洋艦として計画されていました。

  金剛は、日本の主力艦として初の超弩級艦であると同時に、改修に改修を重ねたのちは快速を誇る「高速戦艦」として、大東亜戦争のころは旧式化していながらも盛んな活躍を見せました。現代の海上自衛隊では、開発国アメリカ以外では世界初となるイージス艦のこんごう型護衛艦1番艦「こんごう」にその艦名が受け継がれています。

カシオペア歴史研究所

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17世紀、すでに天皇は「エンペラー」だった

 江戸時代に来日した有名なシーボルトら3人の博物学者は、長崎の出島にちなんで「出島の三学者」と呼ばれます。

 「出島の三学者」の1人で、シーボルトよりも約130年前に来日したドイツ人医師のエンゲルベルト・ケンペルという人物がいます。ケンペルは1690年(元禄3)から2年間、日本に滞在して、帰国後、『日本誌』を著します。

 この『日本誌』の中で、ケンペルは「日本には2人の皇帝がおり、その2人とは聖職的皇帝の天皇と世俗的皇帝の将軍である」と書いています。天皇とともに、将軍も「皇帝」とされています。1693年ごろに書かれたケンペルの『日本誌』が、天皇を「皇帝」とする最初の欧米文献史料と考えられています。

 ケンペルは日本の事情に精通しており、「天皇」の称号が中国皇帝に匹敵するものであるということ、さらにその歴史的な経緯をよく理解したうえで、天皇を「皇帝」としました。

 1716年にケンペルは死去します。その後、『日本誌』の遺稿はイギリスの収集家に売られ、1727年、その価値が認められて、『The History of Japan』というタイトルで英語訳で出版されます。この本は話題となり、フランス語、オランダ語にも翻訳出版され、ヨーロッパ中で大ヒット・ベストセラーとなりました。18世紀後半、ドゥニ・ディドロが『百科全書』を編纂(へんさん)した際、日本関連の情報のほとんどを『日本誌』に典拠したことが知られています。

 ケンペルの『日本誌』が普及したことで、日本の天皇および将軍が「皇帝」と呼ばれることがヨーロッパで完全に定着しました。

 こうした背景から、1853年、ペリーが黒船を率いてやって来たとき、天皇と将軍をともに「emperor(皇帝)」と呼んだのです。ペリーのみならず、日本にやって来た欧米各国の学者や外交官たちも天皇と将軍を「皇帝」と呼び、日本には「2人の皇帝が存在する」などと記録しています。

 また、ケンペルは『日本誌』の中で、天皇は紀元前660年に始まり、当時の1693年まで続いていることに触れ、「同じ一族の114人の長男の直系子孫たちが皇帝位を継承しており、この一族は日本国の創建者である天照大神の一族とされ、人々に深く敬われている」と説明しています。ケンペルは、皇統の「万世一系」が日本で重んじられていることに言及したのです。

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世捨て人です。人生も半分以上が経過しました。これまでの書き留めたこと、地域のこと、日本のことなどを、勝手に思いつくまま書いています。コメント歓迎。批判も大歓迎です。

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