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記事一覧

樺太の野球

40年前から、なぜか母校の野球部史を調べています。半ば、強制的に調べさせられたのですが、今では生涯の課題になった感があります。その中で、昭和初期に監督をされた昆徳治氏は樺太に渡り、戦後まで現地に居りました。その監督を慕って、昭和10年頃までに福中の野球部の何人かは、卒業後に樺太に渡ったと聞いています。その中でも、甲子園に4回出場した畑中岩蔵(旧姓小野)さんは、樺太の鉄道で野球を続けたと言われています。...

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福岡中学の甲子園初出場

 大正15年(1926)12月25日大正天皇が崩御された。時代は大正から昭和へと変わる。新しい時代は「H」のユニフォームと共に、福陵野球が全国の檜舞台立つ瞬間でもあった。大正15年(昭和元年)から昭和2年(1927)にかけての冬期練習は講堂で行われた。柔軟体操、基本的な練習から守備のトリックプレイなど、天知氏から指導された総合練習をこなすうちに、選手の間には早くグランドに出て実践的な練習をしたいと...

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今年も歩いた

大会そのものが中止になった夏の高校野球。母校に伝統行事である暑中行軍が、今年も行われたようです。応援ができない中での行軍、賛否両論がありますが、個人的にはこの無駄さに「あっぱれ」と言いたいです。初戦の相手は、平成以降の岩手の高校野球を牽引している強豪校。昭和の古豪として、一泡吹かせて欲しいものです。https://airinjuku.jp/...

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熱球三十年

昭和9年に書かれた「熱球三十年」は飛田穂洲の名著です。大正期の早稲田大学を中心に、当時の野球事情が理解できます。その中で、久慈次郎、永野重次郎、久保田偵など盛岡中学出身者が書かれています。八戸中学出身の大下常吉も努力の人として描かれています。早稲田には進みませんが、明治大学に進んだ我が福岡中学の戸来誠も紹介していただきました。特に、久慈次郎の記述が多く、本当に愛すべき人物だったようです。書かれてい...

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一戸高校の大戸投手

昭和30年代、岩手県北部は一戸高校の野球部が強かった。隣の福岡高校は昭和30年代に二度甲子園に出ているが、岩手県大会を勝ち抜くより一戸高校に勝つことが難しいと言われた。昭和35年、大戸投手が最上級生となり、監督に小田野柏を迎えた一戸高校は優勝候補の筆頭であった。しかし準決勝で惜敗。甲子園出場はならなかった。その後に慶応大学に進んだ大戸選手は、すぐにレギュラーとなり中心選手として活躍する。第一回のドラフト...

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訪問者の足跡

プロフィール

カシオペア歴史研究所

Author:カシオペア歴史研究所
まもなく還暦を迎えます。人生も半分以上が経過しました。これまでの書き留めたこと、地域のこと、日本のことなどを、勝手に思いつくまま書いています。コメント歓迎。批判も大歓迎です。

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