FC2ブログ

訪問者の足跡


プロフィール

Airinjuku

Author:Airinjuku
世捨て人です。人生も半分以上が経過しました。これまでの書き留めたこと、地域のこと、日本のことなどを、勝手に思いつくまま書いています。コメント歓迎。批判も大歓迎です。


カレンダー

12 | 2020/01 | 02
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

最新記事


最新コメント


月別アーカイブ


カテゴリ


メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:



朱塗り「こぶくら」

浄法寺地方で濁酒を飲む器を「こぶくら」と呼びます。

古い「こぶくら」を、会津の木地屋さんから復刻してもらいました。

それで飲む日本酒が美味いと好評です。

蕎麦猪口としても良さそうです。

ぜひ使ってみてください。

https://airinjuku.jp/

i-img1024x768-1573950582h7wrm5270617.jpg

全て金賞受賞 ボルドー飲み比べ ソムリエ厳選ワインセット 赤ワイン 750ml 6本
スポンサーサイト



浄法寺の木地

 南部の木地業は古く、二戸郡浄法寺周辺で、平安期高倉天皇の時代頃から南部椀の製作を始めたと伝えられる。浄法寺は天台宗の古刹で、ここで自家用の漆器を作り始めたのが浄法寺漆器の始まりであり、浄法寺御器とも呼ばれていた。後世の浄法寺椀はこの遺制を踏襲したもの。当初は浄法寺周辺で専ら製作されていたが、原木が不足するにおよび、浄法寺川を遡って、荒屋新町、浅沢、赤坂田等で作られた。現在の安比川を、江戸期には浄法寺川と呼んでいたのである。

 南部領内ではコケシノことを「キナキナ」と呼んだ。コケシづくりで知られた安保一郎の家は非常に古い木地師で、元禄年間に美濃より秋田県鹿角郡安保へ移動して木地業を営み、後に浄法寺氏の勢力圏だった荒屋地区に移った。享保年間に南部藩より二人扶持を与えられてお抱え木地師となり、盛岡に移住した。

 現在では、安代~浄法寺地区でコケシづくりは行われていない。その形跡を長年探しているがみつかっていない。盛岡では、かつてはどの家でもコケシが数体あったと伝わっている。はたして浄法寺で作られたコケシはどんなものだったか興味深い。

https://airinjuku.jp/

kokeshi.jpg




10年ぐらい前にインターネットで見つけた記事を残していました。

ネタ元のURLは、残念ながら失念してしまいました。

メモによると、盛岡藩は江戸時代には全国の半分以上を漆を生産したそうです。

生産の半分は運上金として藩に納めさせ、後の半分を物産問屋の下で、荷造樽を馬や引き舟、河川船、渡海船などの流通ルートに乗せ、江戸や大坂などに送ったとあります。

これらの過程で、江戸着の目方が7%減ったとの問屋からの申し出があり、独特な計量管理の跡も残ります。

揆籌という独特のがあったとも言われ、盛岡藩(八戸・七戸藩含む)で使用された南部枡の規格を表す文書に記録されています。

一合二勺五才は、方形三寸二分、深さ 一寸
二合五勺は、方形三寸七分、深さ一寸五分

揆籌規格の枡は、今のところ現物は見つかっていませんが、明治生まれの古老達は、普通よりも大きい升があったことを語っています。

平べったくて、容量も普通より約27%も多く入り、幕府容認の盛岡藩特有の枡であったようです。

漆は取引の段階では重量(目方)だが、藩の運上金納入記録は盃(杯)が使われてたようです。

霊前などに供える「一杯めし」は二合五勺で、山盛一杯の意味が含まれると言われます。

「一杯めし」を普通の枡で精米を計ってみると、約25~6%多くなり、揆籌規格の枡が基準になっていたかもしれません。

「盃」は、藩の取り決めで、次のように使用細目を決めていました。

「生漆」計量の場合、
(1)一盃の目方三二〇匁
(2)百盃の目方三二貫
(3)一駄 百盃入れ一つ
(4)一盃の値段九百文

「精製漆」計量の場合
(1)一盃の目方百六・七匁
(2)百盃の目方一〇貫六六七匁
(3)三百盃の目方三二貫
(4)一駄 百盃入れ三つ

これらから見ると、精製漆の比重は、三分の一になります。

南部枡の始まりは以下のように書かれています。

 南部大膳太夫領内通用舛、寛文八年五月津留書上之節、岡田豊前守
 様え御届申上候通、京舛通用仕候、尤、従京都差下候舛にては、領
 内手廣に付、末々迄行届兼、往古より舛方役人并職人共迄申付置、
 京舛本形に仕、入目相改仕足舛申付来候、以前之儀は相知不申候得
 共、天正年中より慶長初迄、越前国新保罷有候久末長右衛門と申者
 え、京都・大坂用事頼候付、京舛為相調差下候得共、前書に申上候
 通、手廣にて領内中行渡兼、右舛本形に仕、仕足舛申付用ひ来候得
 共、東照宮御治威己来御当地舛を本形に仕、当時共舛方役人共え為
 遂吟味、仕足舛申付儀、寛文八年津留等書上候己後、同年七月故大
 膳太夫重信参勤仕候節、前書之通往古より仕足舛申付来候趣、御面
 談御届申上候之処、御聞届被置候、舛恰好之儀は、往古より仕来之
 通、只今共に不相替申付置候、入目之儀は、本形舛之通相違無御座
 候、舛恰好并焼印共に、絵図之通御座候、以上、
   安永五年九月    

漆に関しては、現在の精製業者から聞くと、感覚的なものだが江戸時代の文献に間違いないそうです。

南部升の実物を見てみたいです。

https://airinjuku.jp/

コーヒースプーン 

あると便利なコーヒースプーンセットです。

木製漆塗りです。

海外の方々からも好評です。

ヤフオクに出品予定です。

https://airinjuku.jp/

IMGP4571.jpg


茶托

ヤフオクに懐かしい製品が出品されていました。

30年ぐらい前に、浄法寺の某社で造った物です。

作者は、今では漆芸には関わっていません。

なかなか漆芸で生計を立てるのは難しいようです。

製作方法は、何となく見ていて覚えていますが、同じように塗れるかはわかりません。

手元に持っておきたい一品です。

https://airinjuku.jp/

asunaro_shopimg600x4501493957928ibf.jpg

 | ホーム |  次のページ»»