2022-11-30
小軽米氏の事績
天正の戦国期の当主小軽米左衛門佐久俊(一寄斎)は、天正19年九戸政実の乱に与せず,南部方に属した。
南部信直の書状(同年5月16日・同月18日・7月12日など)に,小軽米の番(守備)のことがたびたび見える
(軽米町誌・県戦国期文書)
小軽米左衛門佐久俊は、代々左衛門を襲名。
先祖は武田源氏で一寄斎と名乗る
直連は作久俊の子で、九戸一機の後に野辺地城代
直久は直連の子、あるいは久俊の次男で江刺家瀬兵衛直成と名乗り南部利直に仕える
高久は直久の子、江刺家茂兵衛
久正は久俊の子で藤蔵。
久幸は久俊の子で江刺家彦四郎
嘉兵衛は直連の子。妻は松岡氏? 母は奥瀬氏?
源太左衛門信義は嘉兵衛の子で遠野南部氏に仕え武田性を名乗った。
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南部信直の書状(同年5月16日・同月18日・7月12日など)に,小軽米の番(守備)のことがたびたび見える
(軽米町誌・県戦国期文書)
小軽米左衛門佐久俊は、代々左衛門を襲名。
先祖は武田源氏で一寄斎と名乗る
直連は作久俊の子で、九戸一機の後に野辺地城代
直久は直連の子、あるいは久俊の次男で江刺家瀬兵衛直成と名乗り南部利直に仕える
高久は直久の子、江刺家茂兵衛
久正は久俊の子で藤蔵。
久幸は久俊の子で江刺家彦四郎
嘉兵衛は直連の子。妻は松岡氏? 母は奥瀬氏?
源太左衛門信義は嘉兵衛の子で遠野南部氏に仕え武田性を名乗った。
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2022-11-29
小軽米氏
お世話になっている浄法寺町の旧家小軽米家。
先祖は甲斐源氏の武田氏です。
天正のころの当主は小軽米左衛門佐久俊です。
九戸政実の客将(姻戚)として重きをなしていましたが、九戸の一揆では三戸方として活躍しています。
慶長年間には野辺地城代となっています。
その後、八戸氏が遠野に移る際には小軽米源太左衛門信義が遠野南部氏に仕えました。
小軽米源太左衛門信義は小軽米左衛門佐久俊の孫と考えられています。
小軽米源太左衛門信義の母は奥瀬氏といわれ、浄法寺松岡氏に近い人物だったようです。
遠野南部氏を調べる必要がありそうです。
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先祖は甲斐源氏の武田氏です。
天正のころの当主は小軽米左衛門佐久俊です。
九戸政実の客将(姻戚)として重きをなしていましたが、九戸の一揆では三戸方として活躍しています。
慶長年間には野辺地城代となっています。
その後、八戸氏が遠野に移る際には小軽米源太左衛門信義が遠野南部氏に仕えました。
小軽米源太左衛門信義は小軽米左衛門佐久俊の孫と考えられています。
小軽米源太左衛門信義の母は奥瀬氏といわれ、浄法寺松岡氏に近い人物だったようです。
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2022-11-22
大河ドラマに
大河ドラマで鎌倉武士が話題になっています。
鎌倉武士の鑑と言われたのが畠山重忠。
そして陸奥の名族・浄法寺氏は畠山氏の後裔を名乗っています。
すくなくても当時の人々はそのように認識していました。
本当は大河ドラマを契機に浄法寺氏研究をと思いましたが、歴史の迷宮に迷い込んでしまいました。
ともかく浄法寺氏に関する伝承などを集めまくってみます。
そうすると見えてくるのものがありそうです。
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鎌倉武士の鑑と言われたのが畠山重忠。
そして陸奥の名族・浄法寺氏は畠山氏の後裔を名乗っています。
すくなくても当時の人々はそのように認識していました。
本当は大河ドラマを契機に浄法寺氏研究をと思いましたが、歴史の迷宮に迷い込んでしまいました。
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2022-09-15
次は陸奥の名族浄法寺氏
とりあえず下斗米秀之進伝を書き上げました。
次は「陸奥の名族浄法寺氏」に取りかかります。
浄法寺という地名、畠山重忠との関連、天台寺院との繋がりなどを手がかりに進めます。
どう考えても天台寺とも繋がっているように思います。
身延山とも関わっている?
歴史の迷宮に入ってしまいました。
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次は「陸奥の名族浄法寺氏」に取りかかります。
浄法寺という地名、畠山重忠との関連、天台寺院との繋がりなどを手がかりに進めます。
どう考えても天台寺とも繋がっているように思います。
身延山とも関わっている?
歴史の迷宮に入ってしまいました。
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2022-05-23
歴女よ!
一昨日は浄法寺城址を探索。
堀跡も残り、その規模は九戸城に匹敵します。
整備をして歴女を呼び込みましょう。
築いたのは畠山氏の阿闍梨重慶と伝わります。
その血脈は今に引き継がれています。
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堀跡も残り、その規模は九戸城に匹敵します。
整備をして歴女を呼び込みましょう。
築いたのは畠山氏の阿闍梨重慶と伝わります。
その血脈は今に引き継がれています。
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