FC2ブログ

天台宗六所宝塔

 仏教により国家鎮護は、平安期の大和朝廷にとっては国家を挙げた旗印であった。9世紀半ばには、その理想を実現するために天台仏教は六か国に法華経を置く塔を建てた。

 関東以北では上野国と下野国の二か所に建てられた。そして天台仏教は、その理想をさらに北日本にも実現させようとして、日本国の当時の最北端であった岩手郡よりも北の、当時は蝦夷の勢力下にあった七時雨~奥中山~軽米以北に天台寺院を建立したと思われる。

 上野国と下野国に建てられた天台宗六所宝塔がある場所は、どちらも「浄法寺」と呼ばれ、ともに畠山重忠に連なる一族の勢力圏内であった。

 中世の戦国武士である陸奥浄法寺氏も畠山重忠の後裔を名乗り、その領内に「天台寺」と呼ばれる天台寺院がある。歴史的に東国地域の天台仏教の中心寺院が浄法寺とばれ、畠山重忠伝説ともつながるとすれば、素直に歴史を考えると、陸奥浄法寺の天台寺も当初は浄法寺と呼ばれていたと思われる。

https://airinjuku.jp/joboji/joboji-hatakeyama/hatakeyama-top.html

019.jpg
スポンサーサイト



天台寺=浄法寺

【浄法寺(じょうほうじ)】

 奈良時代初期の神亀年間(724-29)の創建で、古くは緑野寺とも呼ばれていました。創建は、鑑真和上第一の高弟である道忠とされています。道忠の様な高僧が上毛野に赴任した事は仏教史の疑問となっていますが、その弟子が武蔵野・下毛野出身者であることから、関東教化の朝命が考えられます。

 また平安時代には、伝教大師最澄が東国教化の道場として再興したとも伝えられ、朝廷の施策寺色をうかがえます。以降、関東の中心寺として栄えましたが、戦国時代に入って衰退しました。近年発掘された、付近の黒熊中西遺跡の寺院群遺構との関連が注目されています。

 境内には、他に総門・鐘楼・本堂・大師殿・大師像などがあります。北側境外の唐銅製相輪塔は、弘仁6年( 815)に最澄が発願して建立された物の再建で、全国6塔のひとつに数えられています。全国六ヵ所とは、下野国・上野国・比叡山・山城国・筑紫国・豊前国で、最澄が一千部の法華経を納めて、仏法の護持や国家の鎮護を祈願したものと言います。

 以上が群馬県藤岡市にある浄法寺の紹介文です。この紹介文が、一部を変えれば陸奥浄法寺にある天台寺の紹介に使えそうなことに気づきました。

【天台寺(てんだいじ】

 奈良時代初期の神亀年間(724-29)の行基大僧正が創建したと伝えられ、平安期には、この地方に勢力を拡大した安部氏の仏教教化によって発展しました。

 弘仁6年( 815)に最澄が発願して建立された物の再建で、全国六塔が作られました。作られた全国六ヵ所とは、下野国・上野国・比叡山・山城国・筑紫国・豊前国で、最澄が一千部の法華経を納めて、仏法の護持や国家の鎮護を祈願したものと言います。

 そうした中で陸奥国にも拠点を持とうとした天台仏教は、安倍一族と結びつき日本国と蝦夷国の境界にある安比川流域にその拠点を作り、鎌倉の畠山一族が上野国、下野国に続き拠点として陸奥国に「浄法寺」を建立したと考えられ離。

 個人的な空想ですが、この辺りが歴史的真実に近いと考えています。

https://airinjuku.jp/joboji/joboji-hatakeyama/hatakeyama-top.html

018_202006182200467d7.jpg



那須下野国の浄法寺

 群馬県と栃木県の地域は、古代には毛野国と呼ばれました。大和朝廷の勢力がこの地方に及ぶと、上野国と下野国に別れます。上野国緑野郡には浄法寺が建立されます。畠山重忠と関わりの深い一族の勢力下にあり、上野国浄法寺は関東地方における天台寺院として隆盛を極め現在に伝わります。

 那須下野国にも浄法寺が建立されたようです。那須地方では7世紀に入ると、大形の古墳にかわり小円墳や横穴墓が一定の場所に群をなしてつくられました。また、このころ、那須地方では、初めてこの地で仏教寺院が建立され浄法寺と呼ばれたようです。

 那須という地域は栃木県の北端に位置していて、古代の始めには下野国とは別の独立した那須国があったともいわれます。 畠山一族と関わりの深い武蔵七党の勢力範囲で、陸奥浄法寺氏との関連があったのは確実と思います。

 古代の史跡・遺跡が大変に多いところでもあります。多くの古墳に那須官衙遺跡、浄法寺廃寺などの古代寺院跡、そして「那須国造碑」は日本三古碑のひとつに挙げられています。

 何よりも陸奥国への入り口であり、蝦夷討伐の後方補給基地でした。江戸期にこの地を治めた大関氏の家臣浄法寺氏も、明らかに下野国浄法寺に関係した一族と思われます。

https://airinjuku.jp/

--[PR]----------------------------------------------------------------
        北海道名物松尾ジンギスカン通販!
       新鮮味付ジンギスカンを北海道からお届け!
https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=2TPAYI+4A7AGI+2PWG+60OXF
----------------------------------------------------------------[PR]--

浄法寺氏を考える 藤岡市

 浄法寺氏を考えるうえで群馬県藤岡市も重要な場所です。上野浄法寺城については、山城としての三ツ山城、金鑚御嶽城を防御ラインとした地域城という見解があります。古い記録によると、浄法寺氏(浄法寺左近大夫)が居城し、後に平沢氏(長井氏)が支配しています。長井氏も畠山重忠につながります。

 しかし、上野浄法寺氏の事跡については不明なことも多く、南北朝期に高山・小林一族とともに足利方に加わったとされているほか、のちに戦国期の「安保文書」に断片的に登場しているもののかなり不明な部分が多いものと思われます。

 安保文書の安保氏も、戦国末期には陸奥鹿角郡に移り鹿角の名族となります。陸奥浄法寺氏とも姻戚だったようで、畠山重忠に連なる一族の足跡が、おぼろげながら見えそうな気がします。

 鎌倉浄法寺の畠山一族が上野国で天台宗を後ろ盾にして勢力を拡大し、那須地方に移り、最後には陸奥浄法寺に落ち着いたとは考えられないでしょうか。

https://airinjuku.jp/joboji/joboji-hatakeyama/hatakeyama-top.html

007_20200131130951806.jpg

牧野酒造 榛名山 本醸造 [ 日本酒 群馬県 1800ml ]

天台時の謎!

二戸市浄法寺町の天台寺は、カシオペア地域内では九戸城と並ぶ歴史的な遺産である。
今東光氏や瀬戸内寂聴尼に縁のお寺として脚光を浴びているが、実は歴史的謎の多い寺でもある。

・宗派をそのものを名乗る国内唯一の寺院である
・寺なのに柏手を打って礼拝する
・かつては岩木山を支配していた
・宮内庁が管轄している土地がある
・長慶天皇に関する伝説がある

これだけでも歴史的ロマンをかきたてるが、さらにもう一つ歴史的なものが残っている。
祭礼の時に使われる太鼓である。

平成2年の暮れに、この太鼓の鳴りが悪いということで修理に出すことになった。
この太鼓の修理を請け負った業者は、太鼓の皮をはがした瞬間思わず息を呑んだ。
胴の内部に修理歴が墨書でびっしり書かれていたからである。

墨書1
 吊り金具の両脇に「天台寺太鼓事奉造立意趣者」と書かれていた。
 そして残念なことにそれに続く文字が、後述する墨書6のために削り取られ内容が不明になってしまった。

墨書2
 元中9年(1392年)の修理の際に書かれたもの

墨書3
 文安5年(1448年)の修理の際に書かれたもの

墨書4
 永禄2年(1559年)の修理の際に書かれたもの

墨書5
 元禄15年(1702年)の修理の際に書かれたもの

墨書6
 宝暦5年(1755年)の修理の際に書かれたもので、墨書1の文字を削って書かれている。

以上のことから確実のわかることは、この太鼓が作られたのが墨書2の元中9年よりも間違いなく古いと言うことだ。
元中9年という年号でさえ、岩手県内では最古の太鼓といえる。

国内に残る太鼓で最も古いものは、兵庫県朝光寺の永仁6年(1298年)のものである。
天台寺の太鼓が初めて改修された元中9年(1392年)より96年ほど古いことになる。
この最初の改修が行われた元中9年(1392年)でさえ、実は国内でベスト10に入る古さである。
墨書からわかることは、改修までの長い期間は約110年、短い期間は約50年である。

ところで元中9年というのは、実は南朝の年号なのである。北朝では至徳9年である。
更にこの元中9年より60年ほど前の正平18年の鰐口も残っている。
長慶天皇伝説など、こちらも歴史的ロマンを感じさせてくれる。

管理人は、天台寺の太鼓は源存じている中で日本一古い太鼓だと信じて疑わない。
いつ作られたのかと言えば、藤原秀衡没後100年で、金色堂の修理が行われた時期と予想している。
正応元年(1288年)にこの地方に影響のあった南部氏、もしくは浄法寺氏(畠山重忠の子孫)が寄進したものであろう。
南部氏も浄法寺畠山氏も、当時鎌倉からこの地を与えられた北条氏の被官(代理人)である。

https://airinjuku.jp/kikou/kikou.html

南部美人 純米吟醸 1800ml 岩手の日本酒
訪問者の足跡
プロフィール

カシオペア歴史研究所

Author:カシオペア歴史研究所
世捨て人です。人生も半分以上が経過しました。これまでの書き留めたこと、地域のこと、日本のことなどを、勝手に思いつくまま書いています。コメント歓迎。批判も大歓迎です。

カレンダー
06 | 2020/07 | 08
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR