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ご冥福をお祈りします

日本にとって大切は人が亡くなりました。

ご冥福をお祈りします。

首相は台湾の国歌承認と、訪問を決断してください。

台湾を守り、香港を守る決意を固めて欲しい物です。

李登輝の名を忘れてはいけません。

https://airinjuku.jp/

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台湾の立場

チャイナの「一つのチャイナ原則」と米国のの「一つの中国政策」は別物である。

これは英語文献では ‘One China principle’ と ‘One China’ policy と表記し区別される(引用符がない場合もある)。

この用語の使い分けは,米中関係の中核問題である台湾について,米中双方の立場・利害が異なることを示す。

しかし,両者を混同させた報道・解説も多々見られる。

これは,日本メディアに限らず,米メディア,台湾メディアでも長きにわたって発生している現象である。

その原因は,次のように整理することができる。
① 中国の「一つの中国原則」はわかりやすいが,米の「一つの中国政策」は戦略的あいまいさを含むためわかりにくい。
② 新聞などでは字数が制限されるので,説明が簡略化され,その過程で不正確な認識が広がりやすい

また,「一つの中国」が外交上の争点であった1970年代から長い時間が経過し,記者や識者が当時の文脈を知らないまま発信することが少なくない。

③ 中国側は「一つの中国原則」が世界中で受け入れられているという演出をしたいので誤った記事・解説に訂正を求めないし,米の「政策」は中国の「原則」と同じという誤認が広まることは好都合である。

一部の台湾メディアにも,このような傾向が見られる。

他方,米側は「二枚舌外交」と言われることを警戒し,あえて「政策」と「原則」の違いを強調しない傾向がある。

つまり、日米双方とも台湾がチャイナ領と認めたことはなく、チャイナが台湾の領有を主張していることはわかっているというのが事実である。

https://airinjuku.jp/kindaishi/kindai.html

SK-445 台湾 独立旗 TAIWAN 国旗ステッカー スーツケースステッカー

緑の島台湾

台湾に中華民国国旗は似合いません。

本当は日章旗が一番似合うのですが、「緑の島台湾旗」も現在の国際情勢ではぴったりです。

日本国内でも、この旗を台湾の旗と認識してほしいものです。

某ショッピングサイトで見つけて、発注しました。

費用は、ヤフオクでのガラクタ販売と、ブログのアフェリエイトで捻出しています。

小遣いが貯まったら、もっともっと国内で普及させたいと思います。

カシオペア歴史研究所

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中村輝夫を知っていますか

最後の帝国軍人と言えるのが中村輝夫一等兵です。

彼は高砂義勇兵として、潜伏期間を含め、モロタイ島で30年と4ヵ月過ごしました。

あの小野田寛郎中尉よりも長い間戦ったのです。

昭和50年1月8日、台北空港に31年ぶりの帰還しました。

年齢は55歳でした。

日本に帰ることを望んでいたのですが、その時はすでに台湾は“日本”ではなかったのです。

アミ民族名でスニヨンと呼ばれ、日本帝国軍人として中村輝夫になりました。

そして帰国しましたが時は、本人には望まないにもかかわらず漢名で李光輝。

郷里に戻ってから5年にも満たない昭和54年6月15日、中村輝夫兵長は死去しました。

59歳でした。

台湾と断交後だったが、日本国政府は台湾帰還の四日前、二階級特進を発令しましたが、補償は不十分でした。

大日本帝国憲法の有効最終日である昭和22年5月2日まで遡っての発令だったそうです。

台湾台東県東河村にある中村の墓石には「顕考李公光輝」と刻まれています。

最後まで天皇陛下のいる日本に帰りたがっていたとも伝わります。

分骨して日本の土を踏ませたいと思っています。

https://airinjuku.jp/

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台北高等学校

 台北高等学校(旧制)の同窓会は、東京と台北にあり、間もなく創立100周年になると記憶しています。卒業生は当然のことですが年々減少しています。90周年には「みんなで一緒に校歌や寮歌を歌い、大いに盛り上がった」といいます。

 台湾の元総統、李登輝も台北高等学校の卒業生です。90周年の式典でスピーチに立った李登輝は、20年前の70周年のときと同じように、高等科設置時の校長・三沢糾(ただす)が作詞した第一校歌『獅子山頭に雲みだれ』の4番の歌詞を引用したそうです。

 台湾に、近代教育制度を根付かせたのは、間違いなく日本です。公学校(小学校)、中学校、実業学校。そして、台北高党学校、台北帝国大学をつくり、台湾人にも高等教育を受ける機会が開かれます。それは極めつきの「狭き門」でもありました。

 台北高等学校の定員(高等科)は文科、理科2クラスずつ(1クラスの定員は40人)の計160人だったそうです。李登輝の記憶によれば、このうち台湾人は、文科のクラスでは4、5人。最も多い理科乙類(医師を目指すコース)でも十数人しかいなかったそうです。入学試験には台湾中の秀才が集まります。

 李登輝にとって、台北高校での学生生活は「厳しくとも愛情に満ちた時間」であったそうです。多くの旧制高校の生徒がそうであったように、猛烈な勢いで古今東西の古典を読破し、先人との対話によって思索にふけり、自分の内面と向き合いました。

 李登輝によれば、人生において大きな影響を受けた本が3つあるといいます。トマス・カーライルの『衣裳(いしょう)哲学』、ゲーテの『ファウスト』、倉田百三の『出家とその弟子』。だそうです。そしてその先には、新渡戸稲造の『武士道-日本の魂』との出合いがあったのです。新渡戸に強く惹(ひ)かれた李登輝は、やがて、彼と同じく農業経済学を志すことになりました。

 「高等学校では他ではできない勉強ができたように思う。自分の内面と向き合い、自分の心を客観的に取り出す。それは、その後のボクの人生の糧になるような『人間を作り上げる』最初の時間だったんだ。先生方も一流ぞろいだったね」と回想しています。

 旧制高校のように人間形成を重視した教育や武士道精神に基づく道徳心…。李登輝は、かつて身をもって体験した「日本の教育」や「日本の精神」を高く評価しています。 李登輝は、国のリーダーは2つのことだけを考えていればいい、と思う。『国家』と『国民』のために奮闘することだ。「個」の利益ではなく「公」の利益のために行動し、高い精神性と大局観を持った人物だともいいます。

 大東亜戦争が終わって、アメリカは日本の軍閥を潰し、財閥を潰し、そして学閥を潰した。つまり、旧制高校-帝国大学というリーダーを養成する制度を悪と決めつけ、教師人も含めて日本の教育現場から追放します。リーダーを養成する教育システムは、アメリカにもイギリスにも存在します。戦後のドイツでもリーダー教育の学校はそのまま残されたはずです。

 今の日本の教育は、自虐的で日本の良さを教えていません。歴史は歴史であり、ありのまま教えればいいと思います。いい悪いではなく、何年にこういう事情でこういうことがあったと教えればいいのです。そしてその事を自分で考えればいいのです。

大正十四年台北高等学校第一校歌

 1、獅子頭山に雲みだれ   七星が嶺に霧まよふ
   朝な夕なに天かける   理想を胸に秘めつゝも
   駒の足掻のたゆみなく  業にいそしむ學びの舎

 2、限りも知らに奥ふかき  文の林に分け入りて
   花つむ袂薫ずれば    若き學徒の誇らひに
   碧空遠く嘯きて     わがペガサスに鞭あてむ

 3、錬武の場に下り立ちて  たぎる熱汗しぼるとき
   鐵の腕に骨鳴りて    男の子の心昂るなり
   つるぎ収めてかへるとき 北斗の星のかげ清し

 4、あゝ純眞の意氣を負ふ  靑春の日はくれやすく
   一たび去ってかへらぬを など君起ちて舞はざるや
   いざ手をとりて歌はなむ 生の歡喜を高らかに
        
カシオペア歴史研究所

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台北高等学校―1922年-1946年 (1970年)


訪問者の足跡
プロフィール

カシオペア歴史研究所

Author:カシオペア歴史研究所
世捨て人です。人生も半分以上が経過しました。これまでの書き留めたこと、地域のこと、日本のことなどを、勝手に思いつくまま書いています。コメント歓迎。批判も大歓迎です。

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