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記事一覧

九戸郡侍浜に幽閉された関家当主

文政4年(1821)、将真は寧親に果たし状を送って辞官隠居を勧め、それが聞き入れられないときには「悔辱の怨を報じ申すべく候」と暗殺を予告しました。これを無視した津軽寧親を暗殺すべく、秋田藩の白沢村岩抜山(現・秋田県大館市白沢の国道7号線沿い付近で、弟子の関良助、下斗米惣蔵、一条小太郎、徳兵衛、案内人の赤坂市兵衛らと大砲や鉄砲で銃撃しようと待ちかまえていました。しかし雇っていた刀鍛冶の密告によって、津軽寧...

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相馬大作について

講談などで知られる相馬大作事件。その主人公である相馬大作は、本名は下斗米将真です。「しもとまい・まさざね」と読みます。下斗米氏は本姓は平氏で、平将門の子孫である相馬師胤の末裔と伝わっています。相馬師胤の8世の子孫である光胤の4男胤茂の子胤成が正平年間、南部氏につかえて南部氏の藩士となり、二戸郡の下斗米に住んだと伝わります。下斗米というのは、今の岩手県二戸市の中心地から数キロ西北にある地域ですが、ここ...

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大和燦々

吉田松陰のフィクションものです。相馬大作も登場します。実際に吉田松陰は相馬大作に心酔しています。どの程度影響を受けたかわかりませんが、明治維新の原動力となったことは確かです。機会があったらぜひ読んでみてください。https://airinjuku.jp/Twitterでフォロワーがどんどん増える放置プレイツール売ります | WordPressプラグイン...

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竜岩寺の由来 庵寺の時代

二戸市福岡にある龍岩寺は、万治元年(1656)年に盛岡の曹洞宗報恩寺第十一世仏山祖心和尚が開山したと伝わる禅寺です。それ以前は足沢文書などによれば、尻子内地内向かいの通称「山寺」と呼ばれる場所にあり、真言宗の庵であり名久井法光寺の末寺だったとも言われます。天正年間、九戸の戦いでは上方軍五万の軍勢を九戸政実は迎え撃ちます。難攻不落の九戸城は簡単には落城せず、蒲生氏郷を中心とした豊臣軍にも多数の死者が出ま...

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相馬大作

講談などで知られる相馬大作事件。その主人公である相馬大作は、本名は下斗米将真です。「しもとまい・まさざね」と読みます。下斗米氏は本姓は平氏で、平将門の子孫である相馬師胤の末裔と伝わっています。相馬師胤の8世の子孫である光胤の4男胤茂の子胤成が正平年間、南部氏につかえて南部氏の藩士となり、二戸郡の下斗米に住んだと伝わります。下斗米というのは、今の岩手県二戸市の中心地から数キロ西北にある地域ですが、ここ...

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カシオペア歴史研究所

Author:カシオペア歴史研究所
まもなく還暦を迎えます。人生も半分以上が経過しました。これまでの書き留めたこと、地域のこと、日本のことなどを、勝手に思いつくまま書いています。コメント歓迎。批判も大歓迎です。

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