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2023-03-10

訛り

日本の内燃機発展に貢献した田中舘愛橘博士のエピソードです。

博士の先祖は小笠原氏で浄法寺に土着しました。

浄法寺氏の家臣として重きをなしていましたが、慶長年間に浄法寺氏改易に際し、大館や鹿角方面に移住。

新田開発の功績で浄法寺方面に帰参が許され、その後は南部藩士としてかつやくします。

武士の子として生まれ、幼い時から厳しく育てられた愛橘博士は、「今これをやらなければ殺される」という覚悟で、勉強も仕事もやり遂げたといいいます。

だから訛を人に笑われようと、話さなければ殺される」という気持ちで話したといわれます。

少し位の訛など命に比べればどうという事はないと言う考えでした。

博士は英語、フランス語なども話せました。

面白いことに、博士の英語は日本人には分からなかったが、ちゃんと外国人とは会話が出来たそうです。

博士の英語はスコットランド訛だったそうですが、とても上手に話しました。

帰郷すると、母の実家であった小保内家(呑香稲荷神社)の玄関を開けるなり、 「いだいだ!」と座敷に上がり、ニコニコしながら「あじきばっとか(食)せろ!」と言ったというエピソードが伝わっています。

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2023-03-08

田中舘愛橘と天台寺

田中舘愛橘博士は、先祖が浄法寺氏の家臣だった事もあり何度か浄法寺に来ています。

昭和の末期には、博士と実際に会った方からお話を聞きました。

博士の残した縁の品々も、浄法寺にはあったと思います。

時間があればその事績をまとめたです。

画像は博士の亡くなる数年前に、天台寺を参拝した時の物です。

一緒に写っている方々に興味があります。

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2023-03-05

博士は小学校も卒業していない

田中館愛橘博士は明治11年(1887)に東京帝国大学に入学した。

その時は22歳。

現在の感覚で考えるとずいぶんな年齢と思う人もあるかもしれない。

ついでに言うと博士は、明治政府の義務教育も出ていないのだ。

けっして出来の悪い浪人生だったと早合点してはいけない。

博士が子供の頃は、今の義務教育というものが無かった。

博士は5歳で「和漢」を学び始めた。

当時としては進んだ教育を受けていると言えるが、明治維新という大きな時代の変化で、教育の中身が大きく変わった。

博士は16歳の時慶応義塾で英語を学んでいる。

その後も苦労して勉学に励み、ついに明治9年東京開成学校予科(後の東京大学)に合格すした。

ちなみに、予科は2年、本科が4年で卒業となる。

開成学校は東京医学校と合併し東京帝国大学となった。

なので博士は、東京帝国大学の一期生なのである。

博士は長じて、日本ガソリンエンジンの発展に貢献した。

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2023-03-03

日本初の飛行機?

ライト兄弟が飛行機を発明したのは明治35年(1903)である。

そのわずか4年後の渡欧で、田中舘愛橘は「飛行機の重要性」に気付いた。

欧州から帰国するとすぐに、航空機の基礎実験にも夢中になる。

もちろん当時は実験道具は何もなく、愛橘は「長持ち」を加工した小さな風洞を造り、研究に熱中した。

明治42年(1909)愛橘の所へ相原四郎海軍大尉と共にル・プリウールというフランス人が訪れた。

愛橘はグライダーを飛ばしたいというプリウール達に指導・協力し、何度かの実験の後、ついに複葉グライダーが上野忍之池上空を飛ぶことに成功した。

ライト兄弟からわずか6年後のことである。また、飛行実験に際しては、時の一高校長であった、新渡戸稲造がこれに協力したという。

グライダーであるが、このときの飛行を日本初の飛行とする報告もある。

フランスではアジア初の飛行と記録されている。

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2023-03-01

田中舘愛橘博士と航空

日本のガソリンエンジン開発に貢献した田中舘愛橘博士。

愛橘博士が初めて航空に関わったのは37年(1904)で、博士48才頃であった。

そして、明治40年(1907)万国度量衡会議第4回総会に列席した愛橘は、飛行機の重要性を痛感する。
 
帰国後、「これからは飛行機の時代である」と力説する。

しかし、当時は気球が重視されていて、飛行機が空を飛べるようになるとは信じられていなかった。

陸軍は、気球を思うように飛ばせず苦労をしていたため、学者の協力を仰いだ。

愛橘は請われて陸軍の気球を飛ばすために、様々な協力を行った。

日本で初めての飛行場を、所沢に選定したのも、愛橘博士である。

明治42年(1909)に寺内正毅陸軍大臣から、斎藤實海軍大臣に設置が提案されて「臨時軍用気球研究会」が発足する。

愛橘博士はこの研究会のメンバーとなり、以後日本の航空の発達に深く関わることになる。

実は、軍令部第二班長山屋他人の意見書を受けた、軍令部参謀の山本英輔海軍少佐が、陸海軍共同研究を提案したのがはじまりだといわれる。
 
山屋 他人(やまや たにん、1866年4月18日(慶応2年3月4日) - 1940年(昭和15年)9月10日)は、日本の海軍軍人。

最終の階級は海軍大将。

皇后雅子妃殿下は曾孫にあたる。

その先祖は九戸郡山屋に居住していたとも言われる。

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二戸地域をモーターサイクルの聖地に! その他に地域を元気にする事を目標に「愛輪塾」は活動します。これまでの書き留めたこと、地域のこと、日本のこと、レコードのことなど、勝手に思いつくまま書いています。メント歓迎。批判も大歓迎です。

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