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2017-06-29

天知俊一と中津川昇二

福中のエース投手として活躍した中津川昇二選手は、大正15年(1926)3月に福中を卒業後、明治大学に進学し野球部に席を置いていた。7月には後輩のコーチとして福中にやって来ることになっていたが、急用で果たせなくなった。そこで明治大学の先輩である天知俊一氏に事情を話したところ、快く福中のコーチ役を引き受けてくれることになった。

福中の昆徳治監督は、練習試合から選手全員の長短所を見て貰いたいとの考えから7月4日に盛岡中学との練習試合を組んだ。そして、天知氏には4日の朝に盛岡に着くようにお願いした。練習前のミーティングから戦法まで天知氏の指導で試合に挑んだ。試合は0-1で惜敗したが、試合の運び方、選手に対する采配などベンチの重要さを再認識させられた。

翌7月5日、天知氏の指揮で練習が始まった。前日の盛岡での欠点をどしどし指摘矯正し、最初はバッテリー、続いて各ポジションにつき個人的に懇切丁寧に教えてくれた。天知氏のコーチは懇切丁寧であり、一言一句ただならぬ気合いを込めて納得いくまで動作で示した。野球は科学的に、そして普段の修練はおこたってはならないと何度も選手に言い聞かせた。そのコーチングに選手も天知氏をすっかり信頼した。

天知俊一は明治37年(1903)年12月20日に兵庫県で生まれた。東京の攻玉社中学などで活躍したが甲子園への出場経験はない。大正11年に明治大学に進学し、捕手として活躍した。明治大学に入学するまでの経緯が、現在では考えられないほど波乱に富んでいる。天知は最初に甲陽中学(兵庫県)に入学した。ここに2年間在籍した後に東京の攻玉社中学に転校した。転校した年に甲陽中学は全国制覇を成し遂げた。攻玉社中学を1年で終了し(旧制中学3年)明治大学へ進学した。旧制の学制では5年修了か4年修了で旧制高校の予科か大学の予科に合格すれば進学ができたが、中学3年修了では進学はできない。半年間は野球部に在籍したが、中学の修了証書がどうしても提出されないために、再度中学に入り直す事になった。その時に指定されたのが栃木県の下野中学(現作新学院)である。

大正11年秋には、悪びれることなく下野中学に通い始めた。この時に同じく攻玉社中学3年修了で明治大学に進んだ中川金三も下野中学に転校させられた。下野中学には後に福中から明治大学に進んで活躍する中津川昇二投手も在学していた。大正12年、下野中学で天知と中川はバッテリーを組み快進撃を見せた。ところが、7月になると明治大学から再び呼び戻された。中学4年を修了したから入学を許可すると言うことであった。

天知が明治大学に在学中に、明治大学野球部は2度アメリカ遠征を行っている。そこで高度な野球を観察する。とくに自分のポジションである捕手の重要性を認識した。福中の村田栄三に授けた敬遠満塁作も、この時のアメリカ遠征で見聞した物だった。後に魔球と呼ばれたフォークボールを知ったのもこの時で、明治大学の後輩である杉下茂に授けた。

大学卒業後には、大毎野球団に参加した。この大毎野球団は、本来であれば我が国最初のプロ球団になるはずだった。ところが、当時は学生野球が花盛りでプロ野球が「商売人野球」と蔑まれていた時代背景もあり、親会社の毎日新聞社は「非プロ」を宣言してしまった。

戦後は、中日ドラゴンズの監督に就任した。特に昭和29年(1954)には、自らフォークボールを伝授した大エース杉下茂を擁して、日本一に輝いている。プロ野球の経験が無しでの監督就任も異例だが、その監督が日本一まで登り詰めたのは異例である。打倒巨人軍に執念を燃やした天知は、優勝が決まった瞬間に人目もはばからず号泣し「涙の優勝」と呼ばれた。巨人軍V9時代の名参謀・牧野茂を見いだしたのも天知であった。

戦後も福中の教え子である村田栄三をコーチングスタッフとして迎えようと考え、何度か村田栄三に打診をしたが実現しなかった。その後、毎日新聞の野球解説者などを努め、昭和45年(1970)には野球の殿堂入りを果たした。昭和51年(1976)3月12日逝去。

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カシオペア歴史研究所


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2017-06-27

岩谷橋

大正10年ごろの岩谷橋付近です。
道幅が狭い他は、現代の雰囲気を残していますね。
この近辺に、コーヒーを売っているお店があったようです。
喫茶店なのか、コーヒー豆を売っていたのか興味あるところです。

iwayabashi

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2017-06-26

海軍カレー

横須賀名物の海軍カレー。

元祖とも言える店、魚藍亭の「よこすか海軍カレー館」(神奈川県横須賀市)が2017年8月27日に閉店すると、神

奈川新聞のニュースサイト「カナコロ」が24日に報じた。

もう一度食べたかったです。

日本において、海とカレーは切っても切れない関係にあります。

かつての日本海軍で栄養補給のためにカレーがメニューとして採用され、現代の海上自衛隊では、海の上で曜

日の感覚を保つために、金曜日にはカレーが供されるのが習慣となっているそうです。


http://www.airinjuku.com/index.html

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2017-06-26

木ノ内みどり

いま復活して欲しい歌手の最有力です。
もちろん一番は森田童子。
次は木之内みどりです。
70年代を語るには絶対にはずせない人です。
「横浜イレブン」「硝子坂」は好きでしたね~~。

kinoutimidori

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2017-06-25

大正10年頃 二戸郡福岡町仲町界隈

長年集めてきた絵葉書。
その中に大正時代の福岡町の風景がありました。。
自動車の所有者は誰なんですかね。
フォードでしょうか。
電柱の数は今とあまり変わらない?
なんとなく見たような風景ですね。
調査を続行します。
当時の絵葉書や写真などありましたら複写させて下さい。

nakamachi11

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2017-06-23

大日本奥州会蒲社 2

萩の小倉謙作(鯤堂)と松島剛蔵が福岡にやって来て経を講じたのが安政5年(1858)のことです。

小倉は萩の俊才で、吉田松陰や桂小五郎(木戸孝允)の親友であり、小保内定身とも知友の間柄でした。
小倉は定身の父である孫陸と計って福岡の青年士族を集めて結社をつくり、これに会輔社と命名します。
これは論語の「文ヲ以テ友ト会シ、友ヲ以テ仁ヲ輔ス」から引用したものでした。
当時の社員は14名、社長は孫陸と岩舘民弥の二人で、現存する茶室の槻蔭舎が会場でした。
小倉は異様な熱心さで経文を講じたと伝わっています。

しかし翌年10月、小倉は吉田松陰刑死の報が伝わるや、「次は余の番なり」といって、北海道に去って行方をくらまします。
まもなく帰郷した小保内定身は、彼の残した詩文を読んで感激します。
定身は時下の急務は人材の育成であると、勤王の諸士と往来しその志を深めると共に、青年の指導に専念しました。
こうしてカシオペアの地にも勤王思想の一拠点が築かれたのです。

万延元年(1860)に水戸の吉田房五郎(弗堂)が福岡にやってきます。
兵法を説き、経史を講じ、社の規則を定めて、役員を選び会輔社は名実とともに充実。
何れの士も、勤王倒幕の大義を説いて倦むことを知らなかったと伝わります。
文久2年(1862)に吉田は福岡を去ります。

小倉や吉田が去った後、小保内定身は、時代の要求する人物の養成を痛感して慶応2年(1866)に藩校を設けます。
これに対して藩主は「令斉場」と命名し、文武の道に専念したために大いに士気が上がったと伝わります。
しかし、藩内の事情により「令斉場」は慶応4年(1868)に閉校のやむなき至ったのでした。

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2017-06-22

土偶が2億円

遮光式土偶。

本当かどうかは分らないけど、2億円で落札されたと!

海外サイトです。

遺跡の盗掘が心配だ!

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2017-06-21

浮世絵かも

久しぶりに、面白そうなサイトを検索しています。
駅弁の包み紙コレクションのサイトを見つけました。

http://www.geocities.jp/obaken4649/

いろんな物を集めていらっしゃるようです。
見ているだけで楽しいですね。
駅弁の包み紙は、現代の浮世絵です。
日本独特の文化!
海外にも普及させたい物です。

eki bentoujwe

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2017-06-20

早慶戦資料

約10年ぶりに日本の野球史を調べています。

10年前に見逃した史実を見つけて、新鮮な気持ちです。

今も早慶戦の資料を入札中です。

古い野球に関する写真などありましたらお知らせ下さい。

soukei

http://fwhs9956.blogspot.jp/

2017-06-19

天知俊一

旧制の福岡中学野球部を語る上で、忘れられないのが天知俊一です。

大正15年と昭和2年には、臨時コーチとして福中を指導しました。

その天知さんの秘蔵っ子が中津川昇二です。

http://fwhs9956.blogspot.jp/2017/06/blog-post_20.html

そして昭和2年の甲子園で、岩手の福岡中学の名は全国に知れ渡ったのです。

nakatugawa


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Author:愛輪塾仕掛け人
二戸地域をモーターサイクルの聖地に! その他に地域を元気にする事を目標に「愛輪塾」は活動します。これまでの書き留めたこと、地域のこと、日本のこと、レコードのことなど、勝手に思いつくまま書いています。メント歓迎。批判も大歓迎です。

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