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鹿角の関良輔

 浄法寺氏の家臣であった勝又氏は、浄法寺氏の没落とともに鹿角地方から大館方面に分散していたが、浄法寺氏の家臣団で新田開発が許され、二戸地方に戻った。

 一部は鹿角に残り剣術師範として重用された。毛馬内で剣術を教えていた勝又藤八はその後、流派を花輪の関右平太に譲ったという。この右平太の息子が良輔 で、相馬大作(下斗米秀之進)に師事し、その片腕となって矢立峠で津軽藩主を襲 撃、失敗して江戸に逃れたが、幕府に捕えられ、下斗米秀之進と共に小塚原で刑 死、獄門になったという。時に23才であった。

 良輔の母は原田氏で、福岡の出身であった。長じて福岡で剣を学んだようだ 
この関良輔の名は、大作の名 のかげにかくれて、出身地の鹿角の人でも知らない人も多いので、事の正否はともかくとして、その純真な心意気を称えたい。

 本姓は小田島であったが、浄法寺の関家に養子に入り、文政5年(1822)に小塚原(こづかっぱら)の刑場で処刑された。
この事件は、幕末の志士にも大きな影響を与えた。関良助が明治維新まで生きていたら、新しい世の中をどのように評価したであろうか。とても興味深い。

https://airinjuku.jp/

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恩人の写真

昭和55年8月の写真が出てきました。

一年先輩と写した写真です。

当時は人文研究同好会で、お世話になりました。

その先輩も数年前に急逝。

自分も生死の境をさまよいました。

生きているだけでも儲けものなので、何かを書き残したいと思います。

https://airinjuku.jp/

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カシオペア歴史研究所

Author:カシオペア歴史研究所
世捨て人です。人生も半分以上が経過しました。これまでの書き留めたこと、地域のこと、日本のことなどを、勝手に思いつくまま書いています。コメント歓迎。批判も大歓迎です。

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