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友邦台湾

台湾についての雑感を書いてみたいと思います。SNSの発達で台湾の友人と情報交換が容易になりました。良い時代になりました。日本と台湾は、戦前、戦中、戦後を経て様々な交流をしてきました。日本に対する意識も、その時代によって様々です。親日派と反日派の争いも聞こえてきます。

親日派の話題を聞くと日本人は喜びますが、親日派の台湾人については、よく考える必要があります。親日派は大きく分けて三つの世代に分けられそうです。

第一世代は、日本統治時代の日本語教育を受けた世代、第二世代は反日教育を受けた世代。第三世代は第二世代の子供時代です。

第一世代は知日派です。日本統治時代の日本語教育を通じて、日本文化はもちろん、教育、道徳、知識や台湾のルーツを知った世代です。人格形成時期には日本人だった世代です。大陸からやってきた国民党の過酷な統治を経験しているため、日本と大陸の、教育、道徳基準の違いを経験しています。日本時代の遺産を継続し、いまも日本語の書籍を読破し、日本語で考える人も珍しくありません。李登輝、金美齢などが知られています。

第二世代は、戦後の国民党統治下で反日、北京語教育受けながらも、第一世代から歴史を教えられた世代です。日本時代のことはもちろん、国民党の圧政も知っています。大陸からやってきた外省人が加わるため、第一世代に比べると親日の割合が少ないようです。

第三世代は、第一世代の孫の世代です。国民党による反日教育を受けたにもかかわらず、哈日族(ハーリーズ)と呼ばれる日本贔屓の若い世代が誕生しました。自由な法治国家になったおかげで、客観的な世界観が育まれたらしく、多くの若者が親日的です。

近頃では、チャイナのなりふり構わない台湾いじめに耐えています。ますます親日的になっています。そんな台湾を日本人は理解しているのでしょうか。民主的な国家体制となった台湾よりも、一党独裁で覇権主義のチャイナを支持する日本人は何を考えているんですかね。

近年、台湾人の間で日本旅行が盛んになり、来日する機会も増えています。台湾とともに発展したいものです。

https://airinjuku.jp/

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浄法寺の木地

 南部の木地業は古く、二戸郡浄法寺周辺で、平安期高倉天皇の時代頃から南部椀の製作を始めたと伝えられる。浄法寺は天台宗の古刹で、ここで自家用の漆器を作り始めたのが浄法寺漆器の始まりであり、浄法寺御器とも呼ばれていた。後世の浄法寺椀はこの遺制を踏襲したもの。当初は浄法寺周辺で専ら製作されていたが、原木が不足するにおよび、浄法寺川を遡って、荒屋新町、浅沢、赤坂田等で作られた。現在の安比川を、江戸期には浄法寺川と呼んでいたのである。

 南部領内ではコケシノことを「キナキナ」と呼んだ。コケシづくりで知られた安保一郎の家は非常に古い木地師で、元禄年間に美濃より秋田県鹿角郡安保へ移動して木地業を営み、後に浄法寺氏の勢力圏だった荒屋地区に移った。享保年間に南部藩より二人扶持を与えられてお抱え木地師となり、盛岡に移住した。

 現在では、安代~浄法寺地区でコケシづくりは行われていない。その形跡を長年探しているがみつかっていない。盛岡では、かつてはどの家でもコケシが数体あったと伝わっている。はたして浄法寺で作られたコケシはどんなものだったか興味深い。

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カシオペア歴史研究所

Author:カシオペア歴史研究所
世捨て人です。人生も半分以上が経過しました。これまでの書き留めたこと、地域のこと、日本のことなどを、勝手に思いつくまま書いています。コメント歓迎。批判も大歓迎です。

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