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ソニーのマイクカタログ

ソニーの家電カタログが数枚出てきました。

早速ヤフオクに出してみました。

捨てるものですが、切手代になればとおもっています。

塵も積もれば山となる・・・と思って頑張ります。

興味のある方は、お気軽にお問い合わせください。

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一戸高校の大戸投手

昭和30年代、岩手県北部は一戸高校の野球部が強かった。

隣の福岡高校は昭和30年代に二度甲子園に出ているが、岩手県大会を勝ち抜くより一戸高校に勝つことが難しいと言われた。

昭和35年、大戸投手が最上級生となり、監督に小田野柏を迎えた一戸高校は優勝候補の筆頭であった。

しかし準決勝で惜敗。

甲子園出場はならなかった。

その後に慶応大学に進んだ大戸選手は、すぐにレギュラーとなり中心選手として活躍する。

第一回のドラフト会議でオリオンズ球団に指名されたが、プロ入りはしなかった。

昭和40年代後半から慶応大学の監督も務めた。

軽米高校出身の竹花投手をエースに仕上げ、全盛時代の江川と対戦した。

https://airinjuku.jp/

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岩手県特産品 奥中山高原アイスセット (S)計8個入

クイズです

 浄法寺城を造った浄法寺氏は畠山重忠の子孫を名乗っています。その畠山重忠の妻は歴史上で知られる人物の妹です。その人物は誰でしょうか。

 畠山重忠の妻の姉をお答えください。

 答えをお分かりの方は、メールでお答えください。締め切りは令和2年3月15日とさせていただきます。SNS上でも出題しますが、答えは公開しないでください。宜しくお願いします。

 正解者には景品を進呈させていただきます。

https://airinjuku.jp/quiz/quiz004.html


宇宙自衛隊

日本政府が、航空自衛隊を「航空宇宙自衛隊」に改称する方向で調整に入ったことを、令和2年1月5日(日)、国内複数のメディアが報じました。

 各国の軍事関係者は宇宙空間が作戦エリアになることは認識されており、航空自衛隊も宇宙を担当する専門部隊として「宇宙作戦隊」の新設を令和2年度に計画しているようです。

航空自衛隊の管轄分野が宇宙に広がり、人工衛星の監視などが任務に加わるため、今回の「航空宇宙自衛隊」への改称は、それを踏まえたものと見られます。

 ぜひ将来の宇宙区間をめぐる利権争いに勝利できるよう、官民挙げて取り組んでほしいものです。新技術開発で、雇用と利益を生み出すことができるでしょう。

 当然ですが、産業スパイの対策もしっかり作る必要があります。日本はこの分野で世界をリードする力のある国です。

https://airinjuku.jp/


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証言 19年ぶりの甲子園

「火の玉千本ノックは私の財産」 欠端光則

 僕の野球人生を語る上で、高校時代は欠かすことのできないものだ。市立福岡中学に在籍していた頃から、福岡高校の野球部が憧れだった。県内でも甲子園をねらえる強いチームというのもそうだが、なにより斉藤諒監督の指導がすごく評判で、福岡高校に行けば間違いないという声が多かった。

 運が良かったかもしれないが、僕は一年生から遊撃手兼投手としてレギュラーに抜擢された。しかし、投手でありながら野手というポジションから練習メニューは両方やらなければならないため激しい練習が毎日待っていた。

 その中でも思い出として強く残っているのが、年2~3回あった合宿での、かの有名な「千本ノック」であった。一人ずつ一時間半から二時間の個人ノックを受けた。泥まみれになって白球を追いかけ、動かなくなるまで「火の玉ノック」は続いた。動けなくなるとようやくノックは終わり、斎藤監督は言葉少なげに去っていったのが印象的だった。

当時は嫌でしょうがない練習だったが、基本を徹底的に鍛えられたことが後に僕の財産になった。プロ野球に入団して周りを見渡せば、僕は他の選手より基本がきっちりとできていたのだ。厳しい練習に今では感謝している。

 取り返せない失敗もあった。忘れもしない昭和55年八月九日、甲子園大会二日目第一試合の大分商業戦。念願の甲子園出場は果たしたが「オレが投げれば勝てる」といううぬぼれが原因で本調子がでないままに初戦敗退を喫した。前年の夏、岩手県大会の決勝戦で教訓を得たはずだ。練習試合では22-0で勝利した久慈高校相手に、決勝戦では1-3でまさかの敗退。悔しい思いをしながら、どんな相手でも気を引き締めて臨むことが必要だと学んだはずだった。それでも甲子園で同じ過ちを繰り返した自分が情けない。

 入学前から、岩手県大会の決勝で敗れて甲子園への切符を逃していた斎藤監督。その監督を甲子園に連れて行くのが僕らの目標だった。

 それだけに、昭和55年の夏19年ぶりに甲子園切符を手にして福岡の街をパレードしたときは感慨深いものがあった。

 北福岡駅から国道4号線(旧国道)を金田一温泉までみんなでパレードをしたのだが、斎藤監督の嬉しそうな表情と、19年間の鬱憤を晴らすかのように熱狂する地元の人を見て、すごく胸が熱くなったのを今でも覚えている。

 福岡高校の野球部で、野球の基本と一つのプレイの大切さを学び、チームメイトから支えられたからこそ僕はプロ野球に入団し投げることができたと思う。福岡高校は、まさに僕の原点となる場所だった。

https://airinjuku.jp/jinbadai/jinbadai.html

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カシオペア歴史研究所

Author:カシオペア歴史研究所
世捨て人です。人生も半分以上が経過しました。これまでの書き留めたこと、地域のこと、日本のことなどを、勝手に思いつくまま書いています。コメント歓迎。批判も大歓迎です。

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