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自販機に新しい仲間

職場の自販機に仲間入り。

さっそく試しました。

合格点でした。

明日からの朝の楽しみができました。

https://airinjuku.jp/

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アイワの小型ラジカセ

昭和の末期。

浄法寺には誘致企業としてアイワがありました。

そこの製品は、時々地元価格で販売されたものです。

その時の購入したものではありませんが、軽米エージェントの戦利品の中にアイワのラジカセがありました。

欠品は無く、電池の液漏れもありません。

軽く掃除をして、乾電池を装着。

問題なく再生できました。

ゴムの伸びも無いようです。

モノラルで、どことなく懐かしい音質です。

https://airinjuku.jp/

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エコストアレコード


三戸南部信直のこと

 近世盛岡南部藩の基礎を築いた南部信直は、天正19年(1591)6月に豊臣秀吉に九戸鎮圧の援軍を要請しました。秀吉軍は8月7日に二本松、8月23日に和賀郡相去、盛岡には8月25日に到着し、ここで十三梯段の編成を汲み九戸城へ向かいます。

 三戸の南部信直は、蓑ケ坂から釜沢を通り、金田一長瀬で九戸軍と一戦を交えます。堀野の竹内神社で必勝祈願を行い、現在の陣馬山に本陣を敷きます。

 九戸城の落城は9月4日と言われます。落城の際は、信直軍が上方軍に先んじて突入しました。その突入に関して一つの伝説が残っています。

 九戸政実が浅野長政に欺かれて降参したと知った七戸家国は、政実を奪い返そうとしたが果たせず、蒲生氏郷を襲撃したが失敗しました。ここでいったん九戸城に引き返し、陣馬山の信直に向かって「我らの城はまさに落ちようとしている。この際は、南部の兵を集めて城を取れ。他の軍に先を譲るな。」と大声で叫んだといいます。

 信直は自ら兵を率いて城中に入り、旗を高く掲げて一番乗りを果たします。南部の諸将は家国の義に感涙しました。落城後に信直は、先代晴継公が疱瘡で亡くなったことを悼み、疱瘡神社を建立し三戸に引き揚げたと言われています。

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カシオペア歴史研究所

Author:カシオペア歴史研究所
世捨て人です。人生も半分以上が経過しました。これまでの書き留めたこと、地域のこと、日本のことなどを、勝手に思いつくまま書いています。コメント歓迎。批判も大歓迎です。

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