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長慶天皇伝説 その3

 長慶天皇が亡くなったのは45歳だったといわれます。その御陵は長谷寺の「有末光塚」に作られます。位牌は火災により焼失し、延亨2年(1745)に再建されました。
長慶天皇に遺品は応永年間(1394年から1428年)に、どうした理由か不明ですが櫛引八幡宮に移されます。八戸南部家の家臣立花四郎が長慶天皇より拝領し、その子孫の時代に長谷寺恵光院の関係者が櫛引八幡宮に奉納したとも伝わります。

八戸南部家の勢力圏に「ナニャドヤラという不思議」な歌が伝わります。別名を「南部の猫歌」とも呼ばれます。一戸町出身の神学博士・川守田英二はヘブライ語説、言語学者の金田一京助は方言説、柳田国男は恋歌説が唱えます。

新郷村史では弔いの歌であるとしています。長慶天皇が長谷寺に潜幸した際、梵語で「ここしか住むところがない」という気持ちを詠んだものともいわれます。この弔いの歌が、「ニャンニャン」と聞こえたため南部の猫歌と呼ばれました。この猫歌が盆に謳われるようになり、馬淵川流域を代表する盆踊りの歌となったと言います。

長慶天皇の病状が悪化し、側近の6名が月山大権現の断食祈願を行いますが、天皇は崩御してしまいました。6名は天皇の崩御に殉じます。地元の人々は、長慶天皇と殉職した側近の霊を慰めるために「ナニャドヤラ」を歌うようになったということです。


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秘密基地の茶店?

秘密基地でコーヒーをいただきました。

キャンプ道具を使ってコーヒーを淹れています。

なかなか良い雰囲気です。

この道具があるだけで、秘密基地館が倍増です。

電動もミルも良いですが、やっぱり手動のミルを配置します。

その前に、片付けが先ですね。

遊びに来てください。

カシオペア歴史研究所

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17年ぶり

17年前に徒歩で日本縦断をしている青年を泊めたことがあります。

その青年も中年になり、自分自身もまもなく還暦。

時間の経つのは早いと感じますが、その青年から嬉しいはがきが届きました。

ガラケーに残っているであろう画像を、どうにか探し出して掲載します。

現在、第二秘密基地を整備中です。

ぜひ皆さんに利用してもらいたいと思っています。

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ご冥福をお祈りします

日本にとって大切は人が亡くなりました。

ご冥福をお祈りします。

首相は台湾の国歌承認と、訪問を決断してください。

台湾を守り、香港を守る決意を固めて欲しい物です。

李登輝の名を忘れてはいけません。

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長慶天皇伝説

 長慶天皇に関する資料が少なく、その事績については不明な点が多いようです。在位説と非在位説があり、皇統に加えられたのは大正15年(1926)のことです。当時の研究者武田佑吉と八代国治によって新資料が発見され、ようやく在位が確認されたのです。

 元弘3年(1333)10月、長慶天皇の父である後村上天皇(義良親王)は6歳で陸奥に下向してきたことから陸奥国との繋がりができます。幼い義良は北条氏の残党の討伐と東国武士の帰属を目的に北畠親房・顕家父子に奉じられて奥州多賀城へと向かいます。建武元年(1334年)5月多賀城において親王となりました。

 正平23年(1368)春、後村上天皇の子である長慶天皇は即位します。長慶天皇は二十歳の血気盛んな青年であり、足利勢力に徹底抗戦を堅持します。その頃の南朝勢力は、機内でやや勢力を盛り返したものの、文中2年(1373)には吉野に逃れます。その吉野が攻撃されるという情報が入ると、父親の縁の地である陸奥に逃れることとなり、皇族五名が三種神器を後村上天皇から譲り受け、弟である建立した長谷寺へ向かいます。正平23年(1368)の事でした。

 長谷寺には、この時から6年前の正平17年(1362)には長慶天皇の弟熙成親王は芳野を出立し、丹後から日本海経由で相馬村に到着しましその後、鹿角を経由し浄法寺に逃れ、南朝方の重鎮である南部守行を頼ったと言います。

 その時に最も援助してくれたのが八戸南部弥六郎で二千石を与えてくれたと言います。長谷寺を建立したのは明徳元年(1370)と言われ、そこで兄の長慶天皇を待ちます。長慶天皇は吉野から長谷寺まで一年近くをかけて到着します。

 長谷村の記によれば、長慶天皇の下向経路は紀伊半島から興津浜を通り、駿河から甲斐に入り、正平23年7月25日の甲斐を発ち武蔵、常陸を経由し、鹿島浦から船で久慈浦に到着し、大野、観音林を経由し長谷寺に着いたと記されているそうです。

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こぶくら嫁ぐ

どぶろくを飲む器を「こぶくら」と言います。

浄法寺地方だけの呼び方かもしれません。

江戸時代のものを参考に復刻しました。

そんな「こぶくら」が仙台に嫁ぎました。

酒器でも良いですが、蕎麦猪口でも良さそうです。

ともかく楽しんで使って欲しいと思っています。

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スポーツスター

病気になる前に乗っていたスポーツスター。

楽しかった思い出がたくさんあります。

原動機での移動は、視野の関係で無理ですが、その分を自転車で楽しんでいます。

雨が続いて、自転車には難しい環境ですが週末は乗れそうです。

自転車も準備しますので、一緒に走りましょう。

カシオペア歴史研究所

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友人からの差し入れ

友人から差し入れがありました。

初めていただきましたが、とても美味しい酒でした。

意識してやめないと、軽く四合瓶が空きそうです。

これにホヤがあれば最高です。

秘密基地ができたら、皆さんで一杯やりましょう。

カシオペア歴史研究所

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戦前の資料


必要な人に役立てて欲しいです。

他にも80年代の物を主に、オートバイのカタログがたくさんあります。

家電カタログもあります。

秘密基地の資金になればと思っています。

カシオペア歴史研究所

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ライブ復活したい!

机の中を整理していたら「りりィ」さんの資料が出てきました。

浄法寺で2回のライブ。

3回目を約束していましたが、3年前に急逝してしまいました。

自分自身も大病を患い生死の境を彷徨いました。

彼女を偲んで、何かをしたいと思うこの頃です。

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訪問者の足跡
プロフィール

カシオペア歴史研究所

Author:カシオペア歴史研究所
世捨て人です。人生も半分以上が経過しました。これまでの書き留めたこと、地域のこと、日本のことなどを、勝手に思いつくまま書いています。コメント歓迎。批判も大歓迎です。

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