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DT1 ピストンキット

久しぶりにヴィンテージバイク部品を出品しています。

ヤマハDT1の0.25オーバーサイズです。

ピストンピントクリップもついています。

このセットがあればレストアも捗ります。

ヤフオク出品していますが、興味のあるか方はこちらからお問い合わせください。

お待ちしています。

https://airinjuku.jp/

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テーマ : パーツ
ジャンル : 車・バイク

毘沙門堂阿闍梨のこと

 元弘2年(1332)蝦夷の乱を契機として鎌倉幕府討幕の機運たかまり、新田義貞は武家政治の根拠地鎌倉に攻め入った。

 この時の鎌倉攻めに、南部師行は甲斐の本領を動かなかったが、長兄の時長、その子行長、 師行の嗣子政長は新田軍に加わった。

 時長と行長は5月7日、政長は奥州より馳せ参じ15日に新田義貞軍に加わり、北条泰家の軍と戦ってこれを破り、ついに北条氏を滅ぼした。その後、晴長と行長の親子は鎌倉の守備兵となって鎌倉に在住したようである。

 元弘3年(1333)、新田義貞の鎌倉攻めに加わらなかった師行は鎮守府大将軍北畠顕家の国代として甲州波木井を出発して糠部に入り、八戸の石懸村八森に「根城」を築いたと言われる。八戸南部氏の誕生である。

 戦後になって津軽浅瀬石村にある長寿院から古文書が見つかった。その文書には延命地蔵尊の胎内から発見され、それには師行が動員した部隊の名が記されている。

 南部大膳太夫源師行公之大将、結城七郎左衛門尉親光、都築彦四郎入道、中務右衛門、安保弥五郎入道、弾正左衛門尉、浅石城主千徳頼行公之大将、内紀六郎入道、中村弥三郎祐高、伊賀右衛門資郎、毘沙門堂阿闍梨、大館城主鳴海三郎太郎行光之大将、小河入道弥四郎、武石右衛門惟俊、独錮城主浅利六郎四郎之大将、倉光孫三郎、和賀右衛門勝昌、大里城主成田小次郎之大将、滝瀬彦次郎入道、小川次郎宗武

 山梨県身延町史によれば、この中にある中務右衛門は工藤貞行であり、千徳頼行は一戸南部党の総領、中村弥三郎祐高は波木井の南部氏、毘沙門堂阿闍梨は二戸の浄法寺氏であろうとしている。

 通説によれば、元久二年(1205)、重忠の嫡子六郎重保が北条時政の後妻牧の方の娘婿平賀朝雅と争って時政に殺害され、重忠は武蔵二股川で幕府軍と戦って討ち死した。この時、武蔵国慈院二十九世別当であった三男の畠山小次郎重慶は、陸奥浄法寺に逃れ、還俗して重慶と名乗り浄法寺氏の祖になったと伝わっている。畠山小次郎重慶は阿闍梨とも名乗っていたようである。

 南部師行の八戸入りと畠山重忠が亡くなった時期は約130年程の開きはあるものの、阿闍梨という尊名は浄法寺氏の資料として興味深いものである。

カシオペア歴史研究所

かくしめ食堂

蕎麦が特産といわれるカシオペア地域ですが、意外に蕎麦を食べられる食堂が少ないです。

そんな中で、二戸駅前の「かくしめ食堂」は、作家の笹沢佐保をはじめとして多くの蕎麦好きに知られていました。

廃業してから10年以上経ってしまましたが、今でも復活して欲しいと思っています。

蕎麦の捏ね鉢を補修するようになってから、特にそのことを感じています。

その「かくしめ食堂」で使っていた捏ね鉢も修理待ちです。

完成したら、蕎麦を食する会を企画します。

なので、一刻も早く武漢肺炎の収束を祈ります。

https://airinjuku.jp/

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Author:カシオペア歴史研究所
世捨て人です。人生も半分以上が経過しました。これまでの書き留めたこと、地域のこと、日本のことなどを、勝手に思いつくまま書いています。コメント歓迎。批判も大歓迎です。

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