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2020-10-31

凱歌

 大正12年制定。元歌は第二高等學校大正6年第二部凱歌「湧きて溢る八百潮に」である。作詞は本校卒業生・玉懸圭治氏(二高生)と伝える。作曲者も福中卒の二高生の可能性あり。(二高の資料では、山川潔とされているがペンネームの可能性がある)

 ストームで歌う時のテンポは最高である。基本的には優勝の時にかみしめるように歌う。暑中行軍の際には到着地点で歌う。90周年記念CDにも収録されている。CDでは「城下にちかう」と歌われているが、「城下にちこう」が正しい。

 二高の原曲では、「見よや・・・」の部分が高音で歌われているが、応援歌としてがなり立てるには不都合だったので編曲したように聞き及んでいる。


臥薪の夢に耽ること
ここに重ねて幾星霜
伏龍一度立ち征けば
城下に誓う敵の軍
見よや我らの勝ち得たる
月の桂の輝くを

友よ誉れは我にあり
歌わざらめや勝ちの曲
若き命の美酒を
汲みて踊らん覇者の舞
見よや山河もひれ伏して
我ら選手にことぶくを

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   凱歌のことども (玉懸圭治)  60周年記念誌より抜粋

 大正11年頃の夏、福中5年の柏田四郎氏から応援団用の凱歌がないから歌詞と曲を作って欲しい言ってきた。俺は自分の拙さを省みず「臥薪の夢に耽ること・・・・」の歌を作り、曲は第二高等学校の凱歌の曲をつけてやった。俺は招かれて応援団の前でその歌を唄わされたり、二高独特のタンツエン(独逸語で踊る独特な踊り。勝ったときに踊り狂う特殊な踊り)を実演させられたりした。
 当時の二高は一高(東京)、三高(京都)とボートレースで隅田川で覇を争い、俺も応援に行って二年連勝でこの凱歌に相手を顔色なからしめ東京市中を鼻高らかに歩いたものだが、その二高の勝利にあやかって福中も勝ってほしいとの一念からその曲を採ったのだった。その年福中野球部は中津川投手で甲子園出場。間もなく戸来君のいわゆる黄金時代が来たのだった。
 この凱歌の他にもう一つ俺の作ったものがある。「緑も深き福陵の・・・・・」という応援歌である。数年後の作である。終戦後に新制中学ができ、某中学校ではあの歌詞の「福陵」の二字だけを自校の名に変更して採用しているが、よほど気に入った歌詞だと見える。


*****管理人注釈*****

 玉懸圭治氏は、大正8年3月福中卒。大正13年第二高等学校卒。後に東北大学哲学科聴講生。郷里に帰り二戸郡金田一村教育長を務めた。
 上の文中、中津川投手で甲子園出場となっているが、中津川投手が卒業後2年目で甲子園出場を果たしている。中津川投手時代に初めて夏の甲子園予選に出場したこと(大正13年)と混同したのかもしれない。
 また、大正11年は柏田四郎氏は福中3年であり応援団組織ができたのは大正12年の夏である。そして、この大正12年は甲子園予選に出場を希望しながらも締め切りに間に合わず不参加になってしまった年でもある。不参加にはなったが、生徒間では大会に出場する選手を勇気づけようとして応援団組織が作られた。(初代・山岡米蔵団長)
 つまり、大正12年夏に福中4年の柏田四郎氏が次年度(大正13年度)の野球部の勝利を願って、同郷の先輩である玉懸圭治氏に凱歌の制作を依頼したと思われる。
(柏田四郎氏は大正13年度の応援団副団長)

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 管理人としては、こと細かい間違いを指摘するのが本意ではない。後世の人間に、応援歌などの作られた経緯を調べる資料を残してくれた先人の業績は決して色あせることは無いのである。

https://airinjuku.jp/nekkyo/nekkyo-top.html


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2020-10-31

懐かしの昭和グッツ

秘密基地にブルーワーカーがやってきました。

昭和の雑誌には必ずと言っていいほど広告が出ていました。

当時の若者の大半?は購入したように思います。

でも長続きはしなくて、どこの家でも物置行きでした。

たまにブルワーカーで筋肉をつけた奴もいましたが、少数派でした。

皆さんはいかがでしたか。

https://airinjuku.jp/

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2020-10-31

シャープラジカセ QT22

軽米エージェントからシャープのラジカセを提供していただきました。

最初はラジオが受信できませんでしたが、何度か選曲しているうちに問題ありません。

カセットテープの再生は問題なくできます。

ただテープに取り出しが円滑にいきません。

強制的に開けています。

記憶に間違いなければ昭和59年頃の発売と思います。

ラジカセ収集は続きます。

https://airinjuku.jp/

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2020-10-31

りりィさんの記念碑

浄法寺の山の中に、2回やってきたりりぃさん。

数年前にに急逝。

突然のことでした。

関係者の間で、渡嘉敷島に記念碑を建立する計画があるようです。

愛輪塾ライブ関係者としても、何らかの協力をしたいと考えてます。

秘密基地でその構想を語り合いませんか。

遊びに来てください。

https://airinjuku.jp/

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ゴールデン☆ベスト りりィ[スペシャル・プライス]

新品価格
¥3,629から
(2020/10/31 07:36時点)



2020-10-31

形水会

明治43年夏に早稲田大学が東北遠征を企てた。

8月5日に福中グランドにおいて「形水会」と対戦した。

試合は3-8で敗れた。

同じ日に福中現役生も対戦したが0-14で大敗した。

形水会は福中卒業生のクラブチームで、福中の練習相手であった。

時には現役選手との混合チームを編成し各地の大会に出場したりした。 

「形水」とは、郷土の英雄・相馬大作の号から採用されたものである。

形水会は大正10年頃まで存在した。

https://airinjuku.jp/jinbadai/jinbadai.html

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2020-10-30

春工房

新そば、うどんが出来たので宣伝よろしくと置いて行きました.

二戸市内であればお届けします。

ご注文は各二人前から❗お気軽にお電話くださいとのこと。

0195-23-2250 090-1421-4426 春工房

場所 二戸市石切所字村松37-2

不定休で、配達は一戸、二戸市内は火曜日、水曜日、金曜日、土曜日です。

三戸、南部は金曜日に配達します。

インターネットは楽天市場に出店していましたのでお買い求めください。

手打ち生めん〰️手打ちかっけ🎵地元の粉にこだわり〰️昔ながらの手打ちにこだわり〰️です。

よろしくお願いいたしますm(。_。)m

https://airinjuku.jp/

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2020-10-30

地域の産業

九戸村の試みがマスコミを賑わしています。

「オブチキ」村宣言です。良かったら検索してみてください。

九戸村ばかりでなく、管内の鶏肉生産は国内での有数の生産量です。

人口の1000倍は飼育されていると思います。

ぜひ、九戸村や地域の鶏肉を食べてみてください。

https://airinjuku.jp/

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2020-10-29

プラモ仲間入り

昭和の名車といえばスバル360を思い浮かべます。

昭和のプラモではありませんがスバル360が仲間入りです。

特に珍しいモノではありませんが、この種のモノが結構ありますますので徐々に増やしていきます。

友人の中には、飾るために家を一軒購入した強者もいます。

その情熱はありませんが50個ぐらいを目標に飾ってみたいと思います。

https://airinjuku.jp/

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2020-10-29

明治期の福中野球部

 記録に残る最初の試合は明治35年(1902)7月の八戸遠征で戦績は不明だが大敗だったらしい。翌明治36年(1903)5月29日には、福中グランドにおいて八戸中学(当時は青森二中)と対戦し2-7で敗れる。

 明治37年(1904)5月には八戸遠征をし、この試合で6-42という大敗を喫した。引率の緒方教諭が責任を取って丸坊主となった。この試合は岩手日報にも、「ベースボール競争 前日曜日、当中学校生徒緒方教諭引率の下に八戸に於いて同校生徒と其技を競いしが遂に30点の敗を取り帰校せり」と書かれている。明治37年(1904)10月には、福中グランドで盛岡中学と青森二中(八戸中学)が練習試合をした記録もある。
 それから2年後の明治39年(1906)にも八戸で試合が行われた。よほど明治37年(1904)に42点取られた試合が悔しかったらしく、猛練習を積んで試合に挑んだ。この際に最初の応援歌が即席でつくられる。メロディーは当時の流行歌「アムール川の流血」から拝借した。試合はまたしても敗戦だった。

 秋田県の強豪大館中学が、岩手県にその相手を求めて遠征することになった。
 明治42年(1909)のことである。この時の大館中学は、当時「全国の三傑」と呼ばれ東北球界では無敵を誇っていた盛岡中学を唯一破ったチームであった。福中にも試合の申し込みがあり、天下の強豪校を迎えるとあって対策を考えた。
 盛岡中学出身で早稲田大学に進んでいた野々村納氏を臨時コーチに招き本格的な練習をして試合に備えることとなった。8月に対戦した大館中学との試合は2-5で敗れたが、天下の強豪校と互角の試合ができたと言うことで選手の自信につながった。

 野々村納氏は、明治37年(1904)から盛岡中学の投手として活躍した人物である。当時、盛岡中学が対戦した八戸中学、大館中学、遠野中学、仙台二中などをことごとく撃破した岩手県球史に残る名選手で、盛岡中学卒業後は早稲田大学に進み遊撃手として活躍した。

 明治43年(1910)8月には早稲田大学二軍が東北・北海道遠征を企てていることを知り、野々村納氏を通して練習試合を申し込んだ。試合は0-14で大敗した。この時には、OBチームの「形水クラブ」も挑戦したが3-8で敗れた。「形水クラブ」は、2日後に行われた盛岡中学の試合では1-19で大敗。それほど当時の盛岡中学は強かった。

https://airinjuku.jp/jinbadai/jinbadai.html

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2020-10-28

防災ラジオ

二戸市の防災ラジオが貸与されました。

防災行政無線が聞き難い地域と、65歳以上の住民がいる家庭に設置です。

カシオペアFMがクリアに入ります。

このラジオから緊急放送が聞こえないことを祈りますが、カシオペアFM受信がいっそう楽しきなりました。

良い番組作りに協力したいです。

https://airinjuku.jp/


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プロフィール

愛輪塾仕掛け人

Author:愛輪塾仕掛け人
二戸地域をモーターサイクルの聖地に! その他に地域を元気にする事を目標に「愛輪塾」は活動します。これまでの書き留めたこと、地域のこと、日本のこと、レコードのことなど、勝手に思いつくまま書いています。メント歓迎。批判も大歓迎です。

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