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三選禁止の前例を破る

大東亜戦争前のアメリカでは1933年にフランクリン・ルーズベルトが大統領になります。

そして、三選禁止の前例を破り四期間大統領をやります。

四期目の途中、大東亜戦争が終わる直前にこのルーズベルトは亡くなります。

ランクリン・ルーズベルトは、第三期目の大統領戦で、共和党の党首はハミルトン・フィッシュとの戦いになります。

アメリカ国民の間では、はもう戦争は絶対いやだと言うムードが蔓延していました。

そこでフランクリン・ルーズベルトは、アメリカは絶対に戦争はしないと言う公約で
大統領になった人です。

二期目の任期中にヨーロッパで戦争が始まり、イギリスのチャーチル政権がドイツのヒトラーにやられそうになります。

そこでルーズベルトにチャーチルから、何度も助けてくれと要請が届きます。

しかし、フランクリン・ルーズベルト大統領は、絶対に戦争はしないという公約で大統領になったためにドイツに対して宣戦布告をすることができなません。

そこでフランクリン・ルーズベルトは、ドイツの同盟国である日本を締め上げれば、日本はアメリカに対して手を出してくる可能性が高いと考えたのです。

そして、そのアメリカの計画に引きずり込まれて、日本は真珠湾攻撃に入っていくわけです。

このことは荒唐無稽な話ではありません。

アメリカにヴェノナファイル(VENONA files)と言う文書があります。

これによると、フランクリン・ルーズベルト政権の中に300人以上このコミンテルン国際共産主義のスパイがいたと言うことが書いてあります。

コミンテルンのスパイの中で、アメリカ政権の中で一番えらくなったのは誰かとハリー・デクスター・ホワイトと言う人物です。

彼は財務省のNo2になります。

実は、この男がコミンテルンのスパイだったのです。

有名なハルノートを書いたのは、このハリー・デクスター・ホワイトだそうです。

国務省ではオーデル・ハル国務長官は、コミンテルンのスパイが書いたものを採用して日本に渡したのです。

ハル国務長官も、こんなことを日本に言ったら戦争になるんではないかと側近に言ったそうです。

ハミルトン・フィッシュは、当時共和党の党首でフランクリン・ルーズベルトの政敵です。

彼は1991年亡くなられました。

亡くなる直前にメモを残しています。

これによると、ハミルトン・フィッシュは次のように言っています。

我々は、フランクリン・ルーズベルトから、アメリカ政府が日本政府に対してハルノートのようなものをぶつけていると言うことを、まったく知らされていなかった。

外交委員である私にさえ、フランクリン・ルーズベルト大統領はハルノートを日本に、こんなものをぶつけていると言うことを教えていなかった。

ハミルトン・フィッシュは、戦後40年間この日米戦争について研究し、驚くべきことを発見してしまったのです。

それはハルノートを書いたのは誰かと言うことです。

それはコミンテルンのスパイであったハリー・デクスター・ホワイトだという真実です。

この真実を知れば、アメリカの民主党政権が実に間抜けな政権だったことが理解できます。

https://youtu.be/my7drkuS6hc

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