大東亜会議共同宣言は、アジア諸国に独立のきっかけを与えた宣言です。大東亜戦争に勝利したつもりでいた英仏欄は、戦争終結後に植民地と思っていた地域の独立を認めざるを得ませんでした。日本の左翼陣営は絶対に認めませんが、大日本帝国の功績です。
しかし、カイロ宣言は知っていても大東亜会議共同宣言は国史の中でほとんど教えられません。その内容は、現代語では次の通りです。
1 東亜諸国は、協同して東亜の安定を確保し、同義に基づく共存共栄の秩序を建設します。
2 東亜諸国は、相互に自主独立を尊重し、互いに助け合い、東亜諸国の親睦を確立します。
3 東亜諸国は、相互にその伝統を尊重し、各民族の創造性を伸ばし、東亜諸国それぞれの文化を高めあいます。
4 東亜諸国は、互いに緊密に連携することで、それぞれの国家の経済の発展を遂げるとともに、東亜諸国の繁栄を推進します。
5 東亜諸国は、世界各国との交流を深め、人種差別を撤廃し、互いによく文化を交流し、すすんで資源を解放して、世界の発展に貢献していきます。
大東亜会議は昭和18年11月5日東京の国会議事堂で開かれた会議です。日本(首相東条英機),中華民国南京政府の汪兆銘,タイ(首相代行ワンワイタヤコン),フィリピン(大統領ラウレル),ビルマ(大統領バモー),満州国(国務総理張景恵)、自由インド仮政府代表(主席S.C.ボース)が陪席したものです。
チャイナ以外のアジア人からすれば、「ヨーロッパ人の植民地政策は間違っているから、私達アジアの国々は団結してがんばります」というものでした。本来ならばアジア文明のリーダーになるべきチャイナは、内戦を繰り返すばかりです。
これに対して、米英仏とチャイナ、それにソ連を加えた連合国は、「イエローモンキーが調子こくな、アジアのサルどもは俺たちに従え」と二発の原子爆弾を広島と長崎に落としたのです。
しかし、大日本帝国が植え付けた「独立心」は、アジア各国に広がり多くの独立国を生んだのです。
さて、この事を知っている日本人はどれぐらいいるでしょう?。卑屈になることはありません。堂々とこの時代の日本がしてきたことを伝えればいいのです。日本人は胸を張って生きていきましょう。

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