飛田穂洲さんの著書を読み返しています。
以前は何とも思わなかったのですが、久慈次郎のことが記述されています。
久慈次郎が早稲田に在学中の監督が飛田穂洲でしたので、久慈次郎の人物像を良く描いています。
・打率は高くないけど、ここで打ってほしいと思う場面では必ず打った。
・右翼への打球が多く、ランナーを進めるバッティングは芸術的だった。
・シカゴ大学との試合で投手を志願して、飛田監督と大喧嘩をしたが、次の日から何事もなかったよう振舞った。
・チームメートを驚かせたのは、その食欲だった。
・一回の食事で他人の3倍の量をたべた。
本当に魅力的な人物だったようです。
昭和9年には全日本の主将としてアメリカ遠征に参加しました。この時のチームが巨人軍に発展しましたが、久慈次郎は参加しませんでした。
自分を育ててくれた函館のチームに残ったのです。
昭和11年には、福岡中学から明治大学に進んだ戸来誠投手とバッテリーを組んで、巨人軍と対戦します。
花巻球場での試合は0-1で敗れましたが、久慈次郎のリードは冴えわたったと伝わります。
日本野球史に残る選手です。
カシオペア歴史研究所![DSC_0003[1]](https://blog-imgs-131.fc2.com/a/i/r/airinjuku/20200216143016d93.jpg)
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