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応援旗の変遷 1

春に続いて夏の甲子園大会も中止になってしまいました。

例年なら母校の11回目の出場に向けて、気持ちが高ぶる時期ですが、何ともいえないやるせなさが残ります。

昭和15年に甲子園出場を果たした母校野球部は、昭和16年もレギュラーが7人のこり、甲子園へ連続出場が確実視されていました。

しかし、大会直前に戦局の悪化で中止が知らされました。

そのころの選手から、当時の無念さを聞いたことがありました。

「戦って敗れたら納得できた。」が共通の言葉でした。

さて、母校の応援団は大正13年に正式に結成され、その主目的は野球部の応援でした。

今と違って、試合会場へ出向いての応援ではなく、壮行と凱旋の指揮を執るためです。

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上の画像は、大正13年春のもので、現在で言うトレーナーのようなものを着用し、応援旗は「福中」でした。

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大正13年10月の福中応援団幹事の集合写真です。それまで一度も勝てなかった盛岡中学に、初めて勝利し凱歌を歌ったとのことです。応援旗のMは、校章に採用されている三葉の松を「みはのまつ」と読んだことに由来します。

本日はここまで。(続く)

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