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天台寺1300年祭

天台寺の収蔵庫には混乱期の南北朝時代の鰐口が残されている。

 南朝年号の正平18年に津軽黒石郷に勢力のあった源信行(南部信行)が寄進したもので、西暦1363年のものである。

 明暦3年(1657に改鋳の梵鐘もお残されていて、この梵鐘は三代目であり正中9年(1392)年に、三戸南部当主南部守行が寄進したことを示す銘が残されている。

 南部氏の古記録に、14世紀から15世紀にかけても天台寺に多くの寄進があったことが記されている。

 永亭4年(1432)には前伊勢守親経が津軽田舎郡平内郷に、源(南部)家行が津軽鼻和郡に寄進した記録が残っておる。永亭5年にも源家行が修理亮として平賀郡内に日照田を寄進した。また、南部家十四代の南部義政が永亭年間(1429~1440 )に月山堂に扶持米を与えている

 このことは、天台寺が南北朝から室町期に隆盛を極め、民衆とも薬師信仰で強く結びつていたことを証明している。
相次ぐ戦乱の南北朝期は、天台寺周辺にも南部氏が勢力を強め、必勝祈願の祈願所として武士団の信仰を集めた。同時に民衆は、加持祈祷の場所として天台寺を信仰した。
 
 万治元年(1658)に描かれた「八葉山天台寺絵図」には三十近い堂宇が立体的にみられる。その姿は天台寺の最盛期の姿を想像させるものである。

 南北朝から九戸の一揆までに天台寺は荒れた寺だったのかもしれない。その天台寺を南部氏は再建した。この再建は明暦2年(1656)から三年間、人足二万五千人、木材五千本以上を投入して行われた。

 明治以降の廃仏毀釈や戦後の霊木伐採事件は、南北朝期の混乱期にも似た災難だった。しかし天台寺を信仰する人々の手によって、往時の姿を取り戻しつつある。

 来るべき西暦2028年は、天台寺の1300年祭りの年である。生きているものとして盛大に祝いたいものである。

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