源田実は戦争中の海軍大佐にして大本営幕僚。
戦後自衛隊に入り、航空幕僚として名をはせた。
「源田サーカス」と呼ばれた航空ショーを開発したことで知られている。
国会議員にも選出された。
「源田は良くも悪くも海軍航空の中心人物であったが、真珠湾攻撃や343空の成功の裏に、ミッドウェー海戦やマリアナ沖海戦、台湾沖航空戦、航空特攻などにおける失敗があり、彼の責任は極めて重い」。
「優秀な幕僚と言っても現場を踏んではいない」など。
安保闘争の2年後、1962年に源田は参議院選挙全国区に自民党から出馬した。
特攻は自発的だったと言いふらし、自分の責任逃れに終始したような印象がある。

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